2月5日に我が家にグランドピアノを搬入した。このピアノは母が「ピアノの音が聴こえる家に住みたい」との希望でH8年に実家の増築に合わせて購入したものだ。母はいつの間にか自身ではピアノを弾かなくなってしまったが、私が独学でピアノをやっていたこともあり中古のグランドピアノを買うことが決まっていた。ピアノを選ぶ際には当時学生だった私も水戸市の平山ピアノ社へ同行した。
奥行き180センチクラス(ヤマハのC3相当)の中古ピアノを弾き比べてみたところ、候補としてカワイ製とイースタイン(EASTEIN)製の2つが残った。カワイの方はオーソドックスでクセの少ない印象だったが、色も黒で良くも悪くも普通のピアノ。イースタインはこの時初めて知ったメーカーだったが、日本の職人による手作りのピアノということだった。試弾した印象では中音域の伸びが悪い気がしたが(※)、日本一の調律師といわれた「杵淵直知」によるオリジナルの設計ということと、深みのあるワインレッドのカラーリングに惹かれてイースタインを選択した。母はちょっと他と違うものを好む性質だったこともあり、このピアノをすっかり気に入ったらしく、実家では杵淵氏の写真をピアノの上に飾っていた。
(※自分はほとんどデジタルピアノしか弾いたことがなかったので奏法にも相当なクセがあり、一般的な評価とは異なると思う)
そんな母も3年前に他界し、実家にピアノを置いておく理由も無くなってしまった。いずれ自分が貰い受けるつもりであったが、カミさんが家にピアノを置くことに消極的だったため、10年後くらいに家を増築してからにしようかと悠長に構えていた。そんな折、子供がピアノを習い始めた。とりあえず家にあったクラビノーバで練習していたのだが、デジタルピアノでは運指の練習にはなるものの、表現力は身に付きにくいらしい。ピアノの先生にもアップライトでも良いのでアコースティックピアノを薦められたこともあり、ピアノ店に足を運んでアップライトピアノの試弾をしてみることにした。その中でApollo(東洋ピアノ)のSSSモデルはなかなかのもので、カミさんは洒落た造作のW-800TSというモデルに惹かれたようだった。確かにモノは良いのだが中古のグランドピアノに匹敵するお値段であり、グランド導入までの繋ぎとしてはやりすぎだろう(一生使い続けるつもりで最高のアップライトを買うということであれば間違いなくオススメの一台ではあるが)。お店の方とも話をしたところ、いずれ貰う予定のグランドピアノがあるのなら最初からグランドで練習したほうが良いという結論になり、急遽イースタインを我が家で引き取ることになった(商売にならない客の相手をして頂いてありがとうございました)。置き場は客間のつもりだった和室をあてがうことにした。
家の和室は一部板張りだが、ピアノの足2本は畳にかかる。そこで重量を拡散するための板を自作しておいた。市販品を参考に、ネット材木店で15mm厚のシナベニヤを直径40センチの円形にカットして貰ったものをトリマーで面取りし、ステインで白く着色、ニス塗り仕上げをしたものだ。3枚約5,000円で作成できた。
ピアノの設置は専門の運送業者のスタッフ3人で行われた。足とペダルを取り外し、本体を立てて運び、玄関のドアを問題なく通過できた。さすがに長旅だったのでチューニングは狂っているが、しばらく環境に馴染ませてから調律師に来てもらうつもりだ。
塗装面はダークなワインレッドのような色調で木目は見えない。経年変化でわずかにひび割れしている箇所や小キズはあるものの全体的にはまだまだ綺麗なツヤを保っている。
白鍵には水牛の角が使われているが、微細な穴が黒ずんでちょっと汚れて見える。触った感触はアクリル樹脂や象牙に比べると微妙にザラザラしている。このピアノが作られた頃はまだ象牙鍵盤も生産されていたはずだが、最初のオーナーが敢えて水牛の角で発注したのだろうか。黒鍵は黒檀だと思う。
蓋を開けて譜面台を取り外してみたところ。ピアノのキモともいえるフレームが見える。ピアノの設計というものはこのフレームの構造で大体が決まってしまうそうだ。
チューニングピン板が5つに仕切られているのが250型の特徴の1つ。通常このクラスでは4つで、例えばヤマハで5つに仕切られているのはフルコンサート仕様のCFXのみ。フレームがくり抜かれて真鍮製のピン版がはめ込まれているのも特徴的で、ブリュートナー(東独)のピアノに倣ったものらしい。これはピンの振動をフレームに直接伝えないようにするためだそうだが、弦が緩みやすいという欠点もあり、後に設計が変更されたとのこと。
形式番号 MODEL 250 の文字と製造番号。製造番号は最初のアルファベットが製造月を表す。Vは12月という意味(1月~12月がJKLMNOPQRSTVの順)で、続いて製造年(西暦下2桁)、製造日、シリアル番号と並ぶ。V65101は「1965年12月10日製造の中で一番価格の高いもの」という意味になるらしい。
フレームのレリーフ。描かれているのは花か葉か? なお、後述する書籍には「弦はすべて1本張り」と書かれているが、このフレームではそうなっていない。
響板には Eastein TOKYO PIANO KOGYO の文字が書かれている。工場は宇都宮だったが、本社は東京にあったらしい。EASTEINの商標は「東京ピアノ工業」の頭文字からEASTを取り、東洋のスタインウエイという含みもあったとか。つる草のような掌状7裂の葉が3枚描かれている。何の葉っぱだろう。カナムグラ?
響板のニスには細かいヒビが入っているが、響板自体は健在で、ニスも剥がれたりめくれあがったりはしていないのでまだ使えそうだ。
フレームの端には「Designed by N.Kinebuchi」の文字。250型の製造初期の個体には杵淵氏自らによるサイン(刻印?)が入ったものもあるという。
250型の特徴の「くの字」に曲がった駒。中音部の最初の3音の弦を長く張るためにこうなっているらしい。特殊な形状ゆえ、駒の加工は手間のかかるものだったそうだ。
奥から3本が中音部最初の3音だが、ここだけ巻き線が使われている。低音域から中音域へスムーズに移行するためだ。かけた手間に見合うだけの効果があったのかどうかは素人の自分には良く判らないが...。
実は上で書いた薀蓄はほとんどこの本の受け売り。イースタインは1990年に廃業してしまったが、本には創業から廃業までの歴史や日本各地に残るイースタインピアノのエピソードの他、250型の開発秘話も綴られている。
この本によると、250型は製品によって出来の良し悪しのバラつきが激しかったらしく、設計に問題があったとされている。後に設計の変更が何度かあったとのこと。この個体はフレームの特徴と製造年から推測して比較的初期の製品だと思われる。
実家ではほとんど死蔵していたようなものだったが、我が家に来たことでほぼ毎日使われるようになった。子供のレッスンでもピアノの先生が要求するレベルがデジタルピアノでは表現が難しいところに来ていたので調度良いタイミングだった。もし子供がピアノを辞めてしまっても自分が弾くので無駄にはなるまい。デジタルピアノとはタッチや音の出方がまるで違うので慣れるには時間がかかりそうだ。母が遺してくれたピアノなので、末永く愛用したいと思う。