PCの最近のブログ記事

我が家では2003年に購入したプリンタ複合機のキヤノンPIXUS MP730を今でも使っている。これを購入する前はエプソンのインクジェット機を使っていたのだが、あまりにもノズルの詰まりが頻発する上に、ヘッドクリーニングをしてもちっとも改善しないばかりか、クリーニングをする度にインクを無駄にするし、挙げ句の果てにはエンドユーザーに交換用ヘッドを売らないため修理するとしたら高額になることに嫌気が差し、キヤノンプリンタに乗り換えたのだった。

mp730_00.jpg

このPIXUS MP730では染料系インクを使い、インクカートリッジが黒+シアン+マゼンタ+イエロー(色の三原色)の合計4個というシンプルな設計。染料系塗料(いわゆるクリアカラー)を調色してみると分かるのだが、色の3原色さえあれば黒を含めて全ての色を作ることができる。ただし、実際の運用では黒は頻繁に使う色であり、これを原色を混ぜて作ると無駄が多いので、黒だけ独立したインクカートリッジとなっている。MP730のインクカートリッジには余計な容量管理用チップが付いておらず、市販のキットでインクを注ぎ足して使うのも簡単だ。あの管理チップは、利便性のためではなく、メーカーの利益確保の為に存在しているので、ユーザーとしては付いていない方が有り難い。

余談だが、上位機種ではカラーカートリッジが6色というのがあって、色の表現力をウリにしているようだが、それだけヘッドのノズルもインクカートリッジも増えるため、メンテナンス性は悪化する。3原色+黒だけでも理論上すべての色は再現できるし、実際日常的に使う家庭用プリンタとしては十分なクオリティの印刷ができるので自分としてはMP730で満足している。ただし、染料系の塗料は経年で退色する欠点があり、所詮は一時プリント程度の用途でしか使えない。顔料インクを使ったプリンタも存在しているが、本気で保存用の写真プリントをしたい状況は滅多に発生しないので、そういう時はフジカラーのお店でデジカメプリントを依頼すれば良いと思う。

mp730_01.jpg

このMP730だが、文書をプリントしようとしたところ、ヘッドが目詰まりを起こしてしまったようで、黒がカスレて使い物にならなくなってしまった。ヘッドクリーニングをしたが状況はまったく改善せず。ヘッドを取り外して見たところ、黒用ノズルの周囲がインクでベトベトになっていた。こうなったらヘッドを交換するのが手っ取り早い。

mp730_03.jpg

我が家のMP730はこれまでに2回ヘッドの目詰まりを起こし、キヤノンの直販から購入したヘッドに交換している。エンドユーザーでも交換用ヘッドが入手できるのがキヤノンプリンタのいいところだったのだが、なんと、一般への販売は2009年の2月に終了となってしまったようだ。理由は「プリントヘッドの交換だけで印字品質が改善しないケースもあり、プリントヘッド以外の部分の点検・修理が必須であるとの判断からです」 とされているが、ヘッドの交換で直せなかった素人さんが、余計なクレームでも入れたのだろうか。まぁ、例え販売が続いていたとしても、MP730はすでに製造後約8年経過しているので、メンテナンス部品が手に入らなくなっても致し方ないところではある。

普通はこれでプリンタを買い換えるのだろうが、MP730はメンテナンス性の良さが大変気に入っているので、ヘッドの再生にチャレンジしてみることにした。ネットで検索するといろいろ方法が挙がっているがとりあえずやってみることにした。

mp730_04.jpg

まず、何で洗うかだが、アルコールを使うとノズルを痛めるという報告もあるようなのでお湯で洗うことにした。実際MP730の染料インクはお湯でも十分に溶けるようだ。電子回路部分は浸水させない方が良いという意見もあったが、基板にはICが1個載っている程度のようなので、通電していない状態であれば浸水しても問題はない。ここを濡らさないように洗うのは神経を使うので、とりあえず完全に水没させて40度程度のお湯で洗った。その際気を遣ったのは、ヘッドのインク噴出部分は無闇に触らないことだ。ここはかなり繊細な部分らしいので、綿棒等で擦ったりしない方が良いと思う。40度程度の温水でジャバジャバ洗った後、1時間程度お湯に浸しておき、さらに温水で流してノズルから色が出なくなるまで洗浄した。

mp730_05.jpg

洗浄が終わったら各部を乾燥させるわけだが、このままでドライヤーを当てても内部には水が残ってしまうようだ。ヘッドを固定している2本のネジを外して(ドライバーが滑ってノズルを痛めないように慎重に)内部の水抜きをした他、画像の丸部分で溶着されているプラスチックをニッパーで囓って基板を起こし内側にドライヤーをかけて乾燥させた。

mp730_06.jpg

基板には8本足のICが載っているが、特にここは排水し難い構造になっているので、ドボン洗浄をした場合は必ず分解して乾燥させておくべきだろう。ちなみに基板は元に戻せば十分に固定されるので再接着の必要はない。

mp730_02.jpg

ヘッドを装着した後、ヘッドクリーニングを1回実行してテストパターンを印刷したところ、カラーは問題なかったものの黒がまったく出なくなって焦ったが、プリンタのメンテナンスメニューから「ヘッド リフレッシング」を実行してから印刷したところほぼ綺麗にテストパターンが印刷された。どうやら黒は内部のインクの通路が広いため、1回のヘッドクリーニング程度ではインクがノズルまで到達しないようだ。現状では2本ほどノズル詰まりがあるが、この程度であれば問題無しとして運用再開とした。これからもヘッド洗浄とカートリッジへのインク注ぎ足しで低ランニングコストを実現する良プリンタとして末永く愛用しようと思う。

復活!FX-702P

| コメント(1)

先日復活に失敗したポケコンFX-702Pの修理に再チャレンジした。このポケコンはマイコンブーム初期の1982年に兄が購入したもので、創刊後間もないベーマガのプログラムを打ち込んでよく遊ばせてもらった。一番印象に残っているのが1982年7月号の「ATTACK INVADER」というゲーム。タイトルからはシューティングゲームを思わせるが、グラフィック画面を持たないFX-702Pでまともにシューティングができるはずもなく、実際は「もぐら叩き」風のゲームだった。画面に表示される文字列のパターンに応じてキーを叩くだけであるが、これでも当時は面白いと思ったものだ。

702p_01.jpg

このFX-702P、1983年に兄が海外に留学した際に、暇つぶしにいいだろうと気を利かせて航空便で送ってあげたのだが、それが災いしいてか壊れてしまった。フリーエリア1680ステップ(FX-702Pはメモリの単位がbitやByteではなく「ステップ」)のうち、およそ半分を超えてプログラムを打ち込むと、それまで打ち込んだプログラムが破壊され、メモリーの内容が滅茶苦茶になるという症状だった。輸送時の衝撃で壊れてしまったのだと思われ、持ち主の兄からは「頼んでもいないのに余計なことをするからだ」と怒られてしまった。それ以降は専ら自分が暇つぶしのBASICプログラムを自作するのに使っていたが、うっかり禁断の容量を越えてプログラムを打ち込んでしまい、労力を無駄にすることもしばしばだった。

702p_02.jpg

その後JR-100やMSXに移行したことで使わなくなり、しばらく実家の物置に保管してあったものを一昨年発掘してきた。物理的な衝撃で壊れたのであれば、半田割れが原因ではないかと考え、すべてのフラットパッケージのチップの半田付けをやり直したり、電解コンデンサ、タンタルコンデンサの張替えも行ったのだが、直らなかった。

702p_09.jpg

メイン基板を調べてみたが、独立したCPUやROMが見当たらなかった。これらは4つのLCDコントローラHD4319A02/03に含まれているようだ。基板は両面スルーホールだが、設計が未熟なのか一部のピンがフレキケーブルで結線されている。当然これらの断線も疑ったが、問題は見つからなかった。

702p_03.jpg

こうなるとメモリーチップの不良が疑わしくなってくる。サブ基板に4個載っているNECのμPD444Gという52pのQFPの石がSRAMのようだ。奇妙なことに上下の合計26pだけが基板に半田付けされており、左右の26pは基板にパターンが走っているにも関わらず半田付けされていない。FX-702Pのメモリ空間は、初期状態でフリーエリア1680ステップ+変数領域208ステップなので合計1888ステップ。メモリチップは同じものが4つ使われているので1個につき472ステップの容量があると思われる(ワークエリアのことはこの際考えない)。データシートを探したが、あまりに古いチップのためか発見できなかった。類似型番のμPD444無印のものは発見でき、普通の1024x4bitのSRAMであることは分かったが、ピンの数は違う。とりあえず適当なSRAMに張り替える方向で解析してみることにした。

D444G.PNG

通常のSRAMであれば、アドレス線、データ線が共通ラインとなっており、CPUが8bitならば、8本のデータ線が4本ずつペアのSRAMに振り分けられているので、ピンアサインはある程度推測が可能。他にSRAMには/CS,/OE,/WEの信号もあるが、数本程度であれば試行錯誤で解析することも可能だろう。ということで、μPD444Gのパターンを追いかけてみたのだが、まったく予想とは異っていた。どうもFX-702PのCPUは4bitであり、アドレス線もデータ線もすべての石で共通となっているようだ。その上謎のID設定ピンのようなものもあり、普通のSRAMとは異なる印象だった。ネットで検索してみたところ、同じカシオのPB-100系ポケコンでは、「同期SRAM」というのを使っており、アクセス方法も通常のSRAMとは異なり、置き換えは不可能ということが分かった(参考リンク:Vintage programmable calculators)。おそらくFX-702Pも同期SRAMなのだろう。

702p_08.jpg

こうなったらSRAMを部品取り機から移植するしか道はない。幸いオークションで液晶が割れていると思われるジャンク品を500円で落札できた。動作確認してみたところ、液晶がお漏らしをしているものの、表示は可能で一見動作も問題ない。しかし、プログラムを入力したところ、残り800ステップを切ったあたりでデータが壊れてしまった。あろうことか元々持ってた機体と同じ故障モードではないか!

しかし、よくよく検証すると2台の故障は少し症状が異なることが分かった。元々持っていた方(1号機)は、プログラムが壊れる際、パスワードロックがかかってLIST命令を受け付けなくなる。以後は他のP1~P9のプログラムエリアに入力した場合もその都度パスワードロックがかかる。ジャンク機(2号機)のほうは、メモリ化けが発生するもののパスワードロックはかからない。この違いを利用して原因の切り分けを行うことにした。

702p_07.jpg

FX-702Pでは、メイン基板とSRAM基板は別になっている。どちらに原因があるのか明らかにしておくために基板をスワップしてみたところ、SRAM基板に依存した症状が再現された。よって故障の原因はSRAM基板側にあると確定。前半800余ステップは問題なく動作するので後半800ステップを記憶しているSRAMが壊れていると思われた。SRAMには基板にシルク印刷でABCDと名前が振ってある。おそらく下位アドレスから順番にABCDと名づけるだろうと考え、死んでいるSRAMは1号機、2号機ともにCだろうと推測した。逆に上位アドレスからABCDだとするとBが死んでいる可能性も考えられたため、2号機のBを1号機のCへ移植することにした。予想が外れても、1号機Cを2号機Bに移植することで簡単に再検証が可能だからだ。

702p_04.jpg

SRAMの取り外しにはパターンを痛めないようにサンハヤトの表面装部品取り外しキット(低融点半田)を使った。この取り外しキットは定価4,967円と高額なのが難点だが、使い終わった半田を画像のような極細ピッチのICの足に吸い取って保存しておけば10回くらいはリサイクルが可能だ。使い回して普通の半田が混ざると徐々に融点が上がってやりにくくなるのでそうなったら新しい半田に替えれば良い。ちなみに鉄道模型のホワイトメタル接合用に低融点半田が出回っており、これもIC取り外しに使えるという話を聴いたことがある。こっちのほうが安価なのでいずれ試してみたいと思う。

702p_06.jpg

メモリチップ移植の結果は一発でビンゴ!すべてのメモリを使い切るまでプログラムを入力してもデータ化けが発生しなくなった。

702p_05.jpg

ちなみにAとDのみSRAMが載った状態で2号機を動かしたところ、起動直後のフリーエリア表示は1680ステップのままだったが、プログラムを400ステップ余り入力した時点でおかしくなった。次にAとBのみにSRAMを載せて検証してみたところ、800ステップ余りを入力したあたりでおかしくなった(パスワードロックもかかった)。やはりメモリチップはABCDの順で埋まるようだ。

勢いで、もう一台FX-702Pのジャンク(3号機)を入手してしまったのだが、こちらは筐体が黄ばんで傷ついていたものの動作は完全だった。比較的綺麗だった2号機のガワに3号機の中身を移植して、最終的には完全動作の美品を2台でっち上げることに成功した。SRAMを剥ぎ取った2号機は使い物にならないが、まだ2枚のSRAMチップは生きているので、今後の部品取りとして保管しておこう。

結局故障の原因は2台ともメモリ不良だったわけだが、物理的な衝撃でこのような壊れ方をするとは考えにくい。おそらくメモリチップの品質にバラつきがあり、一部のメモリに時限爆弾が仕掛けられていたようなものだったのだろう。その炸裂のタイミングがたまたま海外に送付した時と重なっただけで。ということで26年来の濡れ衣を晴らすことができたので、事の顛末を兄に報告したところ、本人はまったく未練も無い様子で一言。「大切に使ってくれ」。

いまさらポケコン

| コメント(2)

先日JR-100を弄っている内に思い出したのだが、自分が初めて弄ったコンピュータはカシオのポケコンFX-702Pであった。これは兄が中学生の頃に買ったのだが、小学生だった自分もベーマガに掲載されているゲームで遊ばせて貰ったりした。

fx702p02.jpg

その後輸送中の事故で故障し、メモリを多く使うプログラムを打ち込むと暴走してメモリが飛ぶ状況になってしまったが、自分が高校の時には学校に持ち込んで簡単なゲームを作って遊んだりしていた。故障は半田割れが原因と推測されたので、先日修復を試みたのだが、残念ながら治らなかった。後日頭を冷やしてもう一度チャレンジ予定。

fx702p01.jpg
パッケージのBASICの文字がヤケに誇らしげである。当時はソフトは買うものではなく「打ち込む」または「作る」ものだったので、「BASICプログラムが走る」というのがウリだったのだ。カセットインターフェイスもあるし、昔打ち込んだベーマガのゲームを記録したテープもあるのに、本体が動かないのが残念だ。

それとは別に手元にシャープのPC-E550というポケコンがある。2002年頃に入手したものだが、当時の自分はゲーム機の修理・改造に勤しんでおり、毎週のように獲物を求めてハードオフを巡回していた。そんな折ジャンク扱いで本体のみ1,000円くらいで転がっていたところを発見したものだ。スルーするかどうか迷ったが、これの大学生協モデル(PC-1480U)を兄が持っていたので懐かしくなって捕獲してしまった。マニュアルも無かったのでプログラムを組むこともなく、電卓として使った後は放置されていたのだが、今回思い出して電池を入れてみたところ動作はOKだった。

pce550_01.jpg

何か面白い使い方はできないものかと、ネットでこの機種の情報を調べたら、このシリーズはポケコン末期の息の長かった製品のようで、関連サイトも多いようだ。ゲームプログラムなども多くアップロードされているし、接続ケーブルを自作すればPCからファイルを転送できることも分かった。せっかくなのでネットで手に入るゲームで遊んでみることにした。

PCとの接続はシリアルポート経由で、接続ケーブルの作り方はここのサイトに指南があったので作ってみた。材料はジャンク箱に転がっていたケーブルと抵抗とダイオード。コネクタは「入手困難」とされているが、以前に千石電商で入手してストックしていた1.27mmピッチのピンヘッダコネクタがピッタリだった。

pce550_02.jpg

できあがったケーブルがこれ。ケースはどこかの作例で「フリスク」のものが使えると書かれていたので、安いトップバリュのパチモンを買ってきて使った。確かに程よい薄さで扱いやすいケースだ。

pce550_03.jpg

ここで販売している製品に倣って、逆挿し防止&接点保護の目的で0.4mmの薄い透明プラ版でコネクタをサンドイッチにしてホットボンドで固めている。

PCとの連携は、基本的にTeratarm等の通信ソフトを使ってBASICプログラムでのやりとりとなる(PLINKは今回導入しなかった)。テキストベースの通信しかできないので機械語のバイナリファイルはUUSFXで一旦BASICプログラムに変換してから転送し、ポケコンでバイナリに戻すといった手順が必要。Windows付属のハイパーターミナルは文字化けしたりするので使わない方が良い。転送速度は9600bpsのシリアル通信なので、ハッキリ言って遅く、パソコン通信の時代に逆戻りした気分だが、転送するプログラムも3kBほどの小さいものばかりなのでそんなに苦にはならなかった。

一応覚え書きとして、シリアル転送時は事前にポケコンで下記コマンドを実行。
 POKE &BFD35,0,255,0,80
 OPEN "9600,N,8,1,A,L,&1A,X,S":CLOSE

PCの通信ソフトの設定は下記のようにする。
端末の設定:改行コードはCR+LF、 ローカルエコーあり、 漢字コードはSJIS
シリアルポート:9600ボー、データ8bit、パリティなし、ストップ1bit、フローXon/Xoff、送信遅延は5msecくらい

設定が済んだらポケコンでLOADコマンドを実行し、PCの通信ソフトからテキストデータを送信。Teratermの場合は画面上で送信完了となっても、バッファーに蓄えられたデータが送信完了するまで多少時間を要するので30秒ほど待つ。終了したらポケコンでbreakしてリストを確認し、最後の行まで転送できていれば完了。

あちこちのサイトからアクションゲームやパズルゲームをダウンロードして遊んでみたが、意外と遊べる。もちろん今時の携帯ゲーム機のゲームなんかと比べてはいけないが、ちょっとした暇つぶしにはなるだろう。

pce550_04.jpg

いろいろ検索している内にPC-E500シリーズには「HEAVY METAL」という名作シューティングゲームがあると聴き、探してみたら海外のサイトに落ちているのを発見。ダウンロードして遊んでみた。オールマシン語で組まれており、滑らかな動きで、難易度もなかなかのものだが、液晶の残像のせいで画面は見づらい。ハードウエアの性能だから致し方ないところだが。同じサイトに続編のHEAVY METAL2も登録されているが、これはプログラムのバイナリファイルがuuecodeされた形式となっている。自分は一旦uudecodeしてバイナリに戻した後UUSFXでBASICプログラムに変換してから転送したところうまくいった。

なお、PC-E550は8bit機ながらメインメモリを64kB搭載しており、一部をRAMDISKとして使えるようになっている。メモリはバッテリバックアップがされるので、とりあえず32kBをRAMDISKに割り当ててゲームをセーブしていたのだが、あっという間に埋まってしまった。これでは不便なのでメモリを増設したくなってきた。

ネットの改造記事を見るとSRAMには628128/628512が使えるらしい。これらの石なら昔MSXの似非RAM製作で随分世話になった。628512を2個使えば最大1MBまで拡張できるそうだが、全容量を使いこなすにはメモリドライバが必要だったりとちょっと敷居が高い。そこまでの容量を必要としているわけでもないし、プライマリメモリは256kBまでという制約もあるようなので今回は628128を2個使って256kB化することにした。必要な石はネットオークションで入手した。

pce550_05.jpg

PC-E550を開けてみたところこんな感じになっていた。どうやら前モデルPC-E500(RAM32KB)にフレキ基板でパッチを当てただけの造りのようだ。このフレキ上にアドレスデコーダ回路と32kBのSRAMが2個載っていた。松下のMSXみたいに最初からRAM増設できるように基板を設計していたら良かったのに。

pce550_06.jpg

今回はこの32kBのSRAMを剥がして128kBのSRAMに載せ替える作業となる。まずはSRAM剥がしであるが、元のパターンを剥がすと厄介なのでヒヨってサンハヤトの面実装IC取り外しキットを使った。このキットは高価なのが難点だが、気持ちいいくらいにヌルっとIC が外れてくれた。ちなみに取り外しキットの高価な半田は、要らない0.5mmピッチのICの足などで吸い取って保管しておくとある程度使いまわしが利く。

pce550_07.jpg

次に128kBのSRAMを乗せて半田付けするわけだが、1pは未使用だし隣のICと干渉するので根元でカットする。2p(A16),31p(A15),32p(Vcc)は横に広げ、残りのピンは内側に曲げて32kBのSRAMの載っていたパターンに載せて半田付けする。2p,31pに関してはここにSRAMとCPUのピンアサインが載っているので、これを参考にした。フレキ上のアドレスデコーダはアドレス線A15を2つの/CS信号に変換する回路だが、これはそのまま弄らずに活用した。通常は最上位のアドレス線(今回の場合A17)でチップセレクト信号(/CS)を作るのが一般的であり、そのメリットとしては2つのSRAMの1個が壊れても半分の容量でコンピュータが動作することだが、2つのSRAMが同一の条件で正常に動くという前提ならばA17とA15が入れ替わって配線されていてもCPUから見たら全く違いはない。よって元のA15から/CSを作る回路構成はそのままに、SRAMのA15,A16はそれぞれCPUのA16,A17に繋げばOKだろう。実際のA16,A17の取り出しポイントだが、CPUは足のピッチが極小なので、隣の256kBのROMから取り出すこととした。

pce550_08.jpg

テスターで調べたところ、ROM(LH532A)のこの位置にA16,A17が来ているようなので、ここにポリウレタン線を半田付けし、SRAMのA15,A16(2個とも)に配線した。

pce550_09.jpg

出来上がったところ。2個のSRAMの2p同士、31p同士を接続し、それぞれROMのA16,A17に接続している。また、SRAMの電源ピン(32p)はSRAMの30pに繋げても良いが、近くのチップコンデンサから取り出したほうが簡単。

pce550_10.jpg

動作チェックしたところ、257976 bytes認識しているので成功のようだ。とりあえず INIT"E:192K" コマンドで192kBのRAMDISKを作ってプログラムをセーブしてみたが、動作も問題なし。上述のHEAVY METAL(2)もRAMDISKからLOADしていつでも遊べるようになった。

というわけで、MSX以来久々の半田付けでのメモリ増設ネタで楽しませてもらった。

復活! JR-100

| コメント(0)
先日話題にしたJR-100ネタの続きであるが、実家から持ち帰ったベーマガのプログラム入りカセットテープの取り込みが完了した。中には読めないデータもあったが、ほとんどのプログラムは複数のテープにバックアップが取られていたので、相互補完することでほぼ100%再現できた。このカセットテープは約25年前に記録したものだが、ここ10年ほどは夏場の気温が40度くらいになる屋根裏物置に放置されていた。相当劣化しているだろうと思っていたが、よくデータが取り出せたものだと思う。

それにしても、こうやってマイナー機種JR-100を現代に蘇らせることができるのもエミュレータ作者のけむしろう氏のお陰(感謝)。テープが腐る前にデータをサルベージできて良かった。エミュレータは再現度がかなりよく、JR-100独特のBEEP音によるサウンドや、モッサリした動きも完全に再現されていると思う。敢えて苦言を言うならば、要JAVAなのでPCの負荷が大きいことくらいか。

せっかくなのでサルベージに成功した全37作品をレビューしてみることにした。プログラム本体は電波新聞社に著作権があると思われ、ここで提供できないのは残念だが、パソコン黎明期のゲームの雰囲気を感じてもらえればと思う。

1982年11月 ドラゴン迷路

1982年の頃はまだ自分はいわゆる「ナイコン族」であったが、兄がポケコンFX-702Pのプログラムを打ち込むためにベーマガを買っていた。後にJR-100を購入し、このプログラムを打ち込んだ。とても短いリストなので購入初期によく遊んだ。

ゲームは追いかけゲームで、顔マークが敵、人マークが自キャラ。敵や敵が作る壁に当たるとゲームオーバー。ハートマークが見方キャラで、敵キャラの動きを邪魔したり壁を消したりしてくれる。

1982年11月号 ランダム迷路

これがJR-100購入後に初めて打ち込んだゲームだと思う。まだデータレコーダを持ってなかったので、当時は打ち込んで飽きるまで電源入れっぱなしにしていた。かなり短いリストで、電源落として消去されてもそれほどまた入力すればいいや、というレベル。

ランダムに現れる壁を避けて左上←→右下の往復をするゲーム。壁はランダムなので理不尽な死に方をするが、そういうゲームだから仕方がない。3往復できれば立派な方。

上のランダム迷路を勝手に改造したもの。内容はまったく同じだが、ユーザー定義文字を使って見栄えをよくしてみた。

自キャラを顔にしてみたが、今見るとなんだか不気味な顔をしている。

1982年12月号 パック&ワープ

画面を見た感じだとパックマンのモンスター風の敵キャラとの熱い追いかけっこゲームを思わせるのだが、なんと敵キャラはそこに佇んでいるだけでただの障害物となっている。

パックマン風の自キャラを操って制限時間内にエサを全部食べる、というゲーム。上下左右がワープゾーンになっているのが特徴。佇むモンスターに当たると死亡。作者には悪いが速攻で飽きた。

1983年2月号 MINI TREK GAME

ベーマガ誌上最長かもしれない長いプログラムだった。スタートレック風のシミュレーションゲーム。

これが タイトル画面。なんかスペルが間違っているが、気にしない!

これがゲーム画面。ミスタースポックみたいなキャラにユーザー定義文字が使われているが、動いたりはしない。口パクくらいしていたら画期的だったかも知れない。

5x5のマップに潜むクリンゴン(見た目はUFO)を制限日数以内で全て倒すのが目的。しょっちゅうエンジントラブルが起こる。

またまたスペルが違っているが気にしない!

1983年4月号 ダスト・ハイウェイ

ハイウエイ上をびゅんびゅん走るUFOを避けて、向こう側にあるゴミを拾って収集車に運ぶ「フロッガー」タイプのゲーム。動けるエリアが広いのでフロッガーほど難しくはないが、エネルギー制なのでぐずぐずしていると死亡。

ちなみにベーマガの同じ号にミニサブマリンというゲームがあって、とても面白そうだったのだが、プログラムリストのグラフィックデータの印字がズレまくっており、どうしても正しい入力ができずに断念。

1983年5月号 ポン太くん

昔デパートのゲームコーナーでよくみかけた「ペンゴ」風のゲーム。四角い塊を敵キャラに投げつけてやっつける。

面クリアー時の演出が良い。

元祖ペンゴは軽快なサウンドが印象的だった。

1983年5月号 HALF GOLF

全8ホールのゴルフゲーム。キーボード上に割り当てられた8方向のキーを押すとパワーゲージが表示され、タイミングよくショットキーを押すとボールが飛んでいく様子が見られる。結構まともに遊べるゴルフゲームに仕上がっている。

グリーンに乗ると、ちゃんとホールに旗の立った画面に切り替わるのもGOOD。

1983年6月号 ARABIAN SNAKE

魔法の絨毯に乗って、コブラの壺に砂(?)を落として封じ込めるゲーム。全部の壺に砂を落とすとクリアーだが、砂を落としても表示が変わらないから、途中でどこの壺に砂を落としたのか分からなくなる。

クリアーすると段々天井が低くなって難しくなる。

1983年6月号 RETURN TO EARTH

左右に移動する反射板をうまく利用して敵UFOに弾を当てるゲーム。弾が地面に当たるとゲームオーバー。

反射板に弾が当たって方向を変える時の処理がなかなか綺麗に決まっているが、なかなか敵を狙って当てるのは難しい。

1983年7月号 メリー・ポピンズ

有名な高橋はるみ嬢の作品だが、実はあまり面白くない。本誌でも評価は低かった。

斜め45度に上昇するボールをタイミング良く落としてチューリップみたいな花の上でバウンドさせ続けるゲームだが、タイミングを合わせるがの難しく、花の出現頻度が低いこともあり、すぐゲームオーバーになる。一度も面クリアしたことがない。

1983年7月号 牛乳屋さん

徘徊するモンスターを避けて全ての玄関先に牛乳を配達するゲーム。

見た目は面白そうなんだが、自キャラの動きがトロすぎてすぐにモンスターに捕まる。

JR-100にしては珍しく音楽を多用している意欲作だが、その分ゲームのテンポを悪くしているようにも思う。

1983年8月号 3D CAR RACE

今だったら「どこが3Dなんだ!」と怒られそうだが、当時はこれでも3Dで通用したグラフィックの美しさが秀逸な作品。コースは直進のみでカーブは無く、ひたすら敵車を避けるだけのゲームではあるが、左側の線路に時々気動車が通過する演出がニクい。

とはいえ、動きがトロいのでゲーム性としてはイマイチ。JR-100の処理速度がもっと速ければ...。

1983年8月号 アステロイド・インベーダー

見た目おもいっきりインベーダーゲームを意識した作品だが、アレと異なるのは敵が攻撃してこないことと、自機が動かないことと、ミサイルが誘導弾であること。

アステロイドを避けてミサイルを誘導してインベーダーに当てるゲームだが、簡単すぎてすぐに飽きた...。

1983年9月号 LADDER

実は一番のお気に入りゲーム。なので、エミュレータのカラーテーブル機能を利用して、ドンキーコング風味に色づけしてみた。こうして見るとJR-100のゲームに見えなくなる。

追いかけっこゲームで、エイリアンに捕まらないように宝石みたいなのを集めるゲーム。エイリアンの動きが素早く、黙って立っているとすぐに捕まってしまうのだが、ある程度誘導することができるので、なかなかゲーム性が高い。

梯子がランダムなので、面によっては異常に難しくなったりもする。

1983年9月号 DIA DIA

ナムコのDIG DUGを意識したと思われるゲーム。とはいえ、JR-100なのでテンポはとてもスローリーだが。

敵モンスターに捕まらないようにダイヤを集めるのが目的。蛇は一応味方キャラで、モンスターの動きを邪魔してくれるが、接触するとミスになる。

1983年10月号 カニの帰宅

今でもゲームシステムがよく分からない作品。カニを操作して左上の家を目指すのだが、カニは横にしか歩けず、左端までいくと一段上がって右端から現れる。だが、家までの道のりが果てしなく遠く、クリアした記憶がない。

途中で持つことができる石を鳥に当てたり、虫を食べたりすることも出来たような気がする。

1983年12月号 MAN EATER

自キャラはひとりぼっちの宇宙人で、敵の宇宙人を避けつつ、そこらに散らばっている「冷凍人間」を食べるという設定だったと思う。「スネーク」系のゲームで、自キャラの通り道を踏むとミスになる。敵宇宙人が踏むとそこで固まって食べられるようになるのでそれをうまく利用して冷凍人間を食べまくる。

ミスすると音楽が鳴るが、ゲームの進行に合わせて音楽のテンポが変わる演出がされている。

1983年12月号 ホネホネ・ロック

墓参りゲーム。墓場に浮遊する骨を避けて4つの墓石の前に花を供えればクリア。骨は特に追いかけてくるわけではないので、クリアはたやすい。

ホネホネロックのゲームオーバー画面。たぶんこの画面の見事な不気味さがベーマガ採用に繋がったのだろうと思う。

1983年12月号 GALAXY ONE

上から降りてくるインベーダーをミサイルで迎撃するゲーム。ミサイルがポコポコと発射されるのに合わせて砲塔が前後するアニメーション的な演出が良い。シンプルでリストも短かったためか、この号はJR-100の作品が3本収録されていた。

1984年2月号 緊急発進

有名なスクランブル系の横スクロールシューティングゲームだが、自機は爆弾投下の能力しかなく、隕石はひたすら避けるだけ。地上にある燃料タンクを爆撃すると燃料が補充される(よく考えると無茶苦茶な設定だな)。

見た目は良いのだが、JR-100なのでテンポが遅いのが残念。

1984年2月号 ヘルメット

ゲームウオッチにそんなゲームがあったと思うが、実際似たような作品。上から降ってくる障害物を避けてゴールの地下壕みたいなところを目指すが、扉が開いているときしか入れないところまで同じ。違うのは地下からも地底人が攻めてきており、これも避ける必要があるところ。

1984年3月号 FLOG PANIC

自機である蝶を上下に操作してカエルに捕食されないようにひたすら避けるゲーム。カエルの動きが早く、結構難しい。

一定時間経過するとクリアとなり、天井が下がって次の面になる。

1984年3月号 ROBOT FIGHT

グラフィカルなゲーム画面で一見面白そうに見えるのだが、実は無茶苦茶難しくて一度もクリアしたことがない。敵キャラを避けて画面上部の端末全てに接触するのが目的。一応OILを取ると敵に対して攻撃できるらしいが、なかなかうまくいかない。

自キャラや敵キャラに4マス使っているため、動き回れる範囲が狭く、キャラの動きもトロくて、すぐ敵にやられてしまう。

1984年4月号 CPYOU

ゼビウス風なタイトル画面も用意されており、思いっきりナムコのゼビウスを意識したようなゲーム。蚊トンボみたいな空中物を避けながら9キャラ分の大型地上物のコアにブラスターを投下するのが目的。自我を持ったコンピュータが人類に攻撃を仕掛けてくるというターミネーターの世界みたいな設定。

自機の前方にゼビウスのような照準がある。当たり判定を簡便化するためか、自機の機首部分に空中物が接触しても地上物が接触してもミスとなるが、それ以外は無敵。

面クリアすると敵キャラのパターンが書き変わる。

1984年5月号 SCRAMBLE DELAY

横スクロールシューティングのはずなんだが、自分の打ち込みミスがあるようでいまだにマトモに遊べなかったりする。当時必死にプログラムリストを見直したんだが、どこがミスってたのかわからなかった。ゼビウスのゾルバクやドモグラムみたいな地上物が印象的。

1984年6月号 OCTPUS

タコをかわしながらタコツボを真ん中の十字マークみたいなところに運んで破壊するのが目的のゲーム。移動可能なエリアが狭い上にタコの追いかけがなかなかシビアで、死ぬと最初からやり直しになるのでクリアはやや難しい。タコツボは後ろから押すような感じで運ぶので、四隅に追いやってしまうとクリア不能になる。

1984年6月号 SCOOP-3

画面上に現れるスコップ型の自機を操って画面左右と下にある丸い物体を押すことで地面に穴を堀り進み、散らばっている宝石みたいなのを制限時間内にゲットするゲーム。押し方を考えて進行しないとドツボにはまったり時間切れになる。

1984年7月号 ICE BERGS

地中を進むアイロンみたいな自機を上下に操り、敵キャラの上でタイミングよくボタンを押して氷漬けにするゲーム。1面は地中だが、2面では海中になり、キャラが海の生き物に書き換わる。操作がなかなか難しいが海キャラを見るためにクリアする価値アリ。ひそかにお気に入りのゲーム。

1984年7月号 ROBOT FARM

止まることができないロボットを操って農作物を収穫するゲーム。柵に当たるとミスになるほか、エネルギー切れになるとミスとなるため、定期的に左上に窪みにぶつけて補給を受ける必要があり。クリアするとだんだん難しいパターンになるのでやりこむ価値のある良作。全部で5面くらいあったように思う。

1984年8月号 JISHINDA

地震の元凶となっている地下のマグマに蓋をしにいくというシチュエーションのゲーム。ダイヤと岩石が左右に動いているので岩を避けつつ進んでいく。ダイヤは取れば得点になるが、定期的にダイヤと岩石が入れ替わるのでダイヤを取る直前に岩変わるとミスとなる。

1984年9月号 SPACE SHUTTLE GAME

キラー衛星と敵の攻撃を避けながら、キラー衛星にミサイルを当てて破壊するゲーム。宇宙飛行士のグラフィックがなかなか良く出来ているが方向転換するときに一度正面を向くためそのスキに敵にやられやすい。

スペースシャトルのグラフィックはかなりいい加減だが、そういわれればスペースシャトルに見えなくもない。

1984年9月号 編&影

珍しい二人同時プレイのゲーム。マシン語ルーチンで複数キーの同時検出を行うことでこれを実現しているらしい。敵キャラを避けながら画面上に散らばっているカセットテープを集めるのが目的。二人同時プレイや土管のパターンからして、マリオブラザーズを意識して作られているように思う。

一人プレイモードはないので一人だと盛り上がらない。

1984年11月号 ミステリー・ホール

爆弾をジャンプで避けて穴に飛び込みひたすら下を目指すゲーム。パックマンのモンスター風の自キャラは止まることができずジャンプのタイミングを誤って爆弾にぶつかってすぐゲームオーバーになる。かなり難しい。

1984年11月号 SHERIFF

保安官になって、風船みたいなモンスターの卵を壊したり、岩で潰したり、大砲で撃ったり、穴に埋めたりするゲーム。面ごとに違うゲームになっており、パックマン風、ペンゴ風、バトルシティ風、平安京エイリアン風のゲームが詰まった大作。一通りクリアするとコーヒーブレイク画面まで用意されているが、平安京エイリアン風のゲームがクリアできなくて拝んだことがなかったりする。クリアできないのは自分の打ち込みミスのせいかも知れないが。

1984年12月号 BALL GAME

画面上を飛び回るボールに自キャラを当てて方向を変え、散らばったお日様マークに当てて消滅させるのが目的。自キャラをボールに当てたときの方向の変化に法則があるんだかないんだかよく分からず(ランダム?)、狙った方向にボールを持っていくのは難しい。

1984年12月号 LIBBLE

思いっきりリブルラブルを意識した作品。タイトル画面も凝っている方。

縦にしか動けない自キャラと横にしか動けない自キャラ(LIBとBLE)を操作して、BASISIするとその2キャラを頂点とする四角形のエリアが塗りつぶされ、そこにいるエイリアンを倒すことができる。

BASISIした瞬間のゲーム画面はこんな感じ。囲む範囲が狭いほど少ないエネルギーで済むので有利。2キャラ同時に操作しないとならないのでよそ見をしているとエイリアンにつかまってゲームオーバー。

1985年3月号 FLAPPER

フラッピーとロードランナーを足して二で割ったようなゲーム。パズル要素もあり、それなりの面データを50枚くらい用意できれば市販されていても良いくらいの作品になったかも知れない。

タイトル画面。

なかなか良作なのでエミュレータのカラーテーブル機能を使って色づけしてみた。

ノーマル1面。色づけしたら一気にロードランナー風になった。自キャラのFLAPPERは足場がなくても無限にジャンプすることができ、直下か斜め45度に降下することができる。ロードランナーのように左右に穴を彫ることができるが穴をあけるには足場が必要なのでそれなりに考えて進めないとドツボにはまる。金塊をすべてGOALまで運べばクリア。

1面は特に難しいことはなく、エイリアンの邪魔さえなければ簡単にクリアできる。

元々は2面くらいまでのデータしか入っていないが、実は面エディット機能が付いており、作成したデータのセーブやロードまで可能だったりする。

面エディット機能を使って当時の自分が作った面データその1。一応それなりの難度になっているはず。

エミュレータではテープからのロードやセーブには対応していないが、ゲームプログラムを少し改造してカセットテープから吸い出したバイナリファイルを読み込んだら再現できた。

当時の自分が作った面データその2。

このゲームの打ち込みを最後に自分の興味の対象がファミコンやラジコンに移ってしまい、JR-100を卒業することとなった。

その後1988年1月号までベーマガではJR-100のプログラムリストを掲載していたという...。

発掘! JR-100

| コメント(2)

自分が小学生の頃に購入したナショナルのパソコン「JR-100」を実家の物置から発掘してきた。JR-100の発売は昭和56年だそうだが、これを買ったのは昭和58年頃だったと思う。ベーマガ(マイコンBASICマガジン)の巻末に広告が載っていた「日本マイコン流通センター(現在は消滅)」から通販で買ったと記憶している。本体標準価格は54,800円だが、この中古品はRFコンバータと定価2,800円のソフト(カセットテープ媒体)が2本のセットで29,800円だった。当時はいわゆるマイコンブームで、親がパソコンを買ったという友達の家に入り浸ってはベーマガのプログラムリストを打ち込んで遊んだりしていた。電気屋さんに長居して遊んでたりもしたが、自分のパソコンが欲しくなり、お小遣いを貯めてようやく買ったのがこの機種だった。

本当は友達が持っていた日立ベーシックマスターレベル3マーク5とか、SHARPのX1とか、NECのPC-6001が欲しかったが、ウチの親は「パソコン=ゲームをするためのオモチャ」という考えで、なおかつ「オモチャは小遣い貯めて自分で買え」という方針だったので、親に買って貰うことはできなかった。

当時売られていたパソコンで一番安い価格が29,800円だった。同一価格帯のセガのSC-3000、コモドールのVIC-1001の中古とか、シンクレアのZX-81も候補として考えたが、これらはいずれも搭載RAMが貧弱だったりBASICが別売りだったりで、オプション品を合わせると予算では収まらないため却下となった。

jr100_01.jpg

JR-100の弱点はカラー表示やドットグラフィックス描画ができず、テキストオンリーの白黒画面しか使えないことだったが、自由にドットデザインできるユーザー定義文字のおかげでそれなりに見栄えのするゲームが作れるのがウリだった。また、RAMも標準で16kB搭載しており、ゲームで遊ぶ分には十分だった。そのためベーマガで質の高いゲームが多く発表されたのだろうと思う。

キーボードはいわゆる「消しゴムキーボード」で、現在のテレビのリモコンのようなものだ。大変打ち込みにくく、接点が劣化して無反応になったりチャタリングを起こしたりするのが難点であったが、CTRLキーを使うとコマンドが一気に入力できる機能があり、これは重宝した。BackSpaceに当たるRUBOUTやカーソルキーが独立していないのはなんとかして欲しかったが。

当時の自分はプログラムスキルもなく、ベーマガのプログラムを打ち込んでゲームをするだけで終わったが、このときの打ち込みやデバッグの経験はその後のMSXでのプログラミング等に繋がったと思う。

jr100_02.jpg

背面端子はとてもシンプルで、電源入力と、データレコーダー接続端子、ビデオ出力端子、RFコンバータ用電源端子のみ。電源スイッチやリセットスイッチも無いというシンプルさ。一応増設RAMやプリンタインターフェイスの為の拡張バスも用意されているが、買った人はほとんどいないと思う。

jr100_05.jpg

ビデオ出力はコンポジットビデオのみで、家庭用テレビに接続して使う前提になっているが、当時ウチにあったテレビにはアンテナ端子しかなかったので、RFコンバータを接続して使っていた。これでVHFの1chか2chのどちらかに出力できるが、流れるようなノイズに悩まされた。今となっては無用の装置であろうが、当時はアンテナ端子しか持たないテレビが圧倒的多数であったと思う。同じ頃に発売されたファミコンもRF出力端子しか持っていなかったし。

jr100_03.jpg

電源はトランス式で+7.8V、-8V、+17Vの3つの電圧が出力される。+17VはたぶんRFコンバータ用だと思う。このACアダプタ、大昔にアキバのジャンク屋で大量に売られていたのを目撃したことがある。

jr100_04.jpg

マニュアルは中古で買った時点でも傷んでいたが、その後に使い込んでボロボロになってしまっている。

jr100_06.jpg

実は今回こんなレトロマシンを発掘したのは、JR-100のエミュレータで昔打ち込んだゲームを再現するためだったりする。既に実機からROMを吸い出して動作は確認した。ベーマガのゲームプログラムを記録したカセットテープも数本発掘できた。これらは20年くらい放置しており、今でも読み出せるかどうか分からないが、是非ともなつかしのゲーム画面をPCに再現したいものだ。それにしてもペンギンのキャラクターが描かれたカセットケースが時代を感じさせる...。

にがHP(母屋)

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちPCカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはMSXです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.04