イースタイン グランドピアノ 杵淵250型

前回に引き続き、イースタイン(東京ピアノ工業)のグランドピアノのまとめ、第4回はいよいよ当方所有の杵淵250型。イースタインとして4番目のグランドで、「日本一の調律師」といわれた杵淵直知氏によるオリジナル設計のピアノである。以前の記事で紹介した旧250型とは全く異なる設計のもので、明確に区別するためここでは「杵淵250型」と呼称する。

イースタイン 杵淵250型 1965製

奥行きは当方による実測値で187cm。先行の150型は奥行き159cm、350型は192cm(ピアノ屋ドットコム公表値)であり、その中間の大きさという理由で250型と命名されたらしい(p.96)。とはいえ、350型との違いは5cm程度で見た目の印象はほとんど同じだろう。旧250型が185cmなので、280型あたりが妥当なネーミングではないかと思うが、命名の時点で旧250型は忘れ去られた存在だったのだろうか(実際に完成時期はおよそ10年の隔たりがある)。旧250型はタマ数が少ないために混同するようなこともなかったのかも知れない。


おことわり

現物が希少であり、比較検討のため必要と思われる画像はネットで集めたものを引用・転載しています。資料性を鑑みて、オリジナルを改変せず、できるだけ引用元を明らかにしています。現行の著作権法上認められる研究目的の引用と解釈していますが、権利者からの申し立てがあれば削除等対応します。


参考文献「響愁のピアノ」

杵淵250型については書籍「響愁のピアノ」の第6章「『日本一』の調律師、杵淵直知を迎えて 250型の開発」として記述されている。以下に冒頭部分を引用する。


数あるイースタインピアノの中で、グランド250型は極めてオリジナリティが高い。技術顧問として出入りしていた東京の調律師杵淵直知がひたすら音色の良さを求めて独自に設計し、商品化にこぎつけたものだ。(P.89より引用)


杵淵250型が誕生した経緯について、文献の内容を要約して紹介する。設計者の杵淵直知氏は1925年に調律師杵淵直都氏の子として生まれ、1947年ヤマハに委託生として入社し、大橋幡岩氏(大橋ピアノ研究所の創設者)に師事。5年の修行を経て父の杵淵ピアノ調律所に入ったが、海外の一流ピアノの音創りのノウハウを身につけるため2年半西ドイツへ単身留学し、グロトリアンやスタインウエイの工場で修行を積み1963年帰国。スタインウエイのピアノに惚れ込んだ氏はその魅力を最大限取り入れた独自のグランドピアノを作りたいと考え、イースタインがそれに手を貸すことになった。(p.89-p.92、海外留学については氏の著書「ピアノ知識アラカルト」p.86に記述あり)

参考文献「ピアノ知識アラカルト」

当時の時代背景として、「販売競争が激化する中で、ピアノの音色はより硬く、金属的な鋭さを加え始めていた(響愁のピアノ p.91)」とも書かれており、先行の150型、350型とは異なる(スタインウエイ的な)パワーのある音色を目指して設計されたことが伺える。

イースタイン 杵淵250型 1965製

先行のイースタインのフレームはほとんどが海外製品を実測・模倣して設計されたものだったが、このモデルは完全に杵淵氏のオリジナルであり、いくつかのユニークな点が認められる。以下に文献「響愁のピアノ」より引用する。


実物大の平面図を見て、イースタインの社員たちは息を呑んだ。鉄骨の柱が1本多いのだ。低音部の最外周にケースの内側をなぞるように柱が通っていて従来の150型や350型とも、いや他社の鉄骨とも明らかに形が違っていた。ピン板をはめ込むくりぬき窓も五つ(350型は四つ)あって仕切りが一本多いせいか、間口もやや広い感じがする。(以上p.92より引用)


イースタイン 杵淵250型 低音部最外周の柱

上画像が「1本多い」外周の柱で、外周に沿ってぐるりとボルトで固定されている。フレームの重量を外周均等にかけ、響板のバランスを整えるという意図があったのかも知れない。おそらく杵淵氏による実験的な試みと思うが、現代のピアノに同様の構造が採用されていないことを考えると、効果のほどは期待できないような気はする。

ちなみにスタインウエイの場合、外枠(リム)も音響装置と考え、響板とリムを隙間なく接続して全体を響かせる構造になっているそうだ(参考資料:島村楽器公式ブログ)。響板の外周をフレームで押さえつけてしまう杵淵250型とは対照的である。

「1本多い」外周の柱には杵淵モデルである証「Designed by N.Kinebuchi」のエンボスがされている。杵淵250型の第1号は完成時に素晴らしい音色を出したそうで、氏はあまりの感激に鉄骨にKINEBUCHIとサインを入れたという逸話がある(p.96)。その後もサイン(刻印)はしばらく続いたとされるが、やがてこのモデルの仕上がりにムラがあることが判明するとサインをやめてしまったそうだ。おそらく画像のエンボスとは別に杵淵氏本人によるサインが入った個体があるものと推測される。

第1号の完成時期は明示されていないが、書籍の記述では、杵淵氏がヨーロッパから帰国したのが1963年11月で、それから間もなく開発が始まったとされる(p.92)。着手から約1年で第一号が完成した(p.96)ことから、1965年初頭ではないかと思われる。当方所有の個体は1965年12月製造であるので、1号機完成から1年以内に作られたものだろう。既に鉄骨のサインをやめてしまった後の個体と考えても矛盾はない。

イースタイン 杵淵250型 ピン板くりぬき窓の仕切り

上画像の中音域のピン板を二分している縦の支柱が通常のピアノより1本多い仕切りである。これがあるから優れているというものではないだろうが、YAMAHAピアノでここに仕切りを設けているのはフルコンサートのCFXのみである。おそらく奥行きの長いフルコンではフレームの歪みを抑制する意図があるのだろうと思うが、190センチクラスの杵淵250型では特に意味は為さないのかも知れない。

イースタイン 杵淵250型 フレーム肉抜き穴

書籍では触れられていないが、個人的にはこの肉抜き穴が独特だと思う。ここは円形に開窓しているピアノが多いが、杵淵250型ではできるだけ広い穴面積を確保したいという意図が見える。そのために左右の支柱のリブをアーチ状に結合し、強度を稼いだのだろう。響板の振動をできるだけ殺さずに肉抜き穴から放出しようと考えたのではないだろうか。

このピアノにかけた杵淵氏の意気込みは相当のものだったそうで、当時の職人たちにうるさいほどの注文をしたとされる。以下に書籍から引用する。


まず駒の加工が実にやっかいだった。通常は放物線のような自然な曲線を描くが、今回は中音部の最初の三音分だけが「くの字」に曲がっているのだ。低音部からの音の移行が滑らかになるよう、弦を長めに張るための工夫だ。しかもこの三音について、杵淵は巻線を使うことを求めた。(以上p.94より引用)


イースタイン 杵淵250型 くの字の駒と巻線

上が画像の左側の3音部の駒が「くの字」とされている部分。ここだけ弦を巻線にした上で有効弦長を「短く」しているように見える。有効弦長と巻線による関係はコチラのサイト(ピアノの仕組み「低音部の弦設計」)に書かれている。弦の倍音成分は理論値より高い音になる傾向があり、この現象を「インハーモニシティ」というらしいが、文献「ピアノ知識アラカルト」にもこれについての記述がある。以下引用する。


実は音楽家も調理師もオクターヴが完全に合っていると感ずるのは、下の音の二倍音に上の音が合っている場合なのです。簡単な理論では二倍音は原音の二倍の振動数を持っているはずです。しかし実際のピアノでは違うのです。ピアノの絃は硬質の鋼線で太さもチェンバロ等と比較すると相当に太いもので、特に高音部は他の部分と比べて長さの割合には太いのです。硬く太く短ければどうなるか―二倍音にしても、原音に対して正確な二倍や三倍の音は出さずに、それよりも高い音を出すわけです。どうしてそんなことになるのか―硬く太く短ければ、分割して発生するべき倍音の節の部分が点ではなく、ある長さだけ動かないと考えられます。すると振動する長さはそれだけ短くなり、原音に対して二倍音は二倍以上の振動数を持ち、三倍音は三倍を越える音となり、四倍五倍となるに従って原音と実際の倍音との違いは大きくなっていきます。

中略

さて、調律師にとって一番いやなことは、高音域に達したときに1本の絃がその倍音(正確な倍数でないことはすでに述べた)と干渉してうなりを発すること、特に日本の多くのアップライトやヨーロッパのものではベヒシュタインの高音部に多いし、また低音でも巻線部分に入ったとたんにオクターヴを合わせると十度のうなりが少なすぎたり、五度で合わせればオクターヴが全く合わなくなったり困惑することがあります。(ピアノ知識アラカルト P26-29より引用)


インハーモニシティを小さくすることだけを考えれば弦を「細く長く」する方が有利であるが、氏は自身の調律の経験を基に、裸線と巻き線で特性が急激に変化しないように、移行部の3音の弦を敢えて「太く短く」設計したと思われる。

引き続き、駒の設計について以下文献より引用する。


「響板との接着面は小さい方がいい」という要望を受け入れて、駒の両脇を少しずつ削る作業も加わった。「少しでも響板を軽くしたい」という考えから、響板と駒の接合には従来の木ねじを使わず、ハンマーシャンクと同じ丸棒を使うことになった。スタイウェイもこの方式だが、木ねじを使うよりも工程が複雑化する。ピアノ全体が響きを作るようにと、支柱材を広葉樹のブナから針葉樹の赤松に替え、材料費もかさむことになった。(響愁のピアノ p.95より引用)


イースタイン 杵淵250型 駒接着面のくびれ

画像では分かりにくいかも知れないが、駒の下部が細く削り取られていてくびれている。反対側も同様で、響板との接触幅が一定になるように削り取られているように見える。

イースタイン 杵淵250型 響板

響版と駒の接合部は響棒を貫く部分のみ木の丸棒で固定されているが、その他は木製のワッシャーと金属ネジが使われている。その間隔にも何らかの意図があるのだろうか。

イースタイン 杵淵250型 支柱

「針葉樹の赤松」とされる支柱は放射状に配列されている。確かに木目はブナというより針葉樹に見える。ブナより赤松の方が柔らかく、構造材としては不利な気がしてしまうが、杵淵氏は自著でこう語っている。


バックの柱にしてもそうである。あれは強度の一部としての支柱の意味と、振動を各部につたわらせ楽器全体を鳴らせる意味で、振動の伝わりの早い松柏類を多くの場合に使うのだが、ごく最近(注:記事掲載は1974年)までは、もっとも振動伝達のおそいブナ材が使われていたのである。機械として把握していて、楽器として考えられていなかった証拠である。(ピアノ知識アラカルト p.100より引用)


同様の考えから支柱の材に針葉樹を採用しているメーカーにベーゼンドルファーがある(参考リンク:宮地楽器)。なお、2019年現在ブナよりも赤松の方が安価のようであるが、楽器用の材木となると事情は異なるかも知れない。

イースタイン 杵淵250型 響板ロゴ

1965製の杵淵250型の響板ロゴは最も後期のバージョンになっている。周囲に四角い色ムラが生じているところを見ると、このサイズのデカールなのだろう。イースタインの響板の材は「響愁のピアノ」p.23によると北海道産のエゾ松とされているが、杵淵氏は自著で昭和30年頃に資源が枯渇したと書いている(ピアノ知識アラカルトp.83)。よってこの個体の響板の材料は不明。なお、エゾ松といっても俗称クロエゾマツとアカエゾマツの二種類あるらしく、どちらも楽器の材料として使われるが、特に優秀なのは別種のアカエゾ松だそうだ。鳴りの良し悪しは響板の材料だけで決まるものではないが、杵淵氏は自著でこう語っている。


いちばんたいせつな響板にしても現在(注:1974年)日本のエゾ松を使ったピアノなどほとんど見当たらない。良質なエゾ松はピアノの材料としてルーマニアのフィヒテにひじょうに近い性質を示し、音に伸びがあり粘りがある。しかし、現在のあらゆるピアノに使われているアラスカのスプルースは材質に粘りがなく、バンーと瞬間的な頭でっかちの音は出るが、何か索漠たる音でバーンとはいかない。それでも売る方は日本人が外国に弱いのを見込んで、「世界でいちばんピアノに適した木をアラスカから輸入している」という。買うほうは音がわからないから、日本のエゾ松を選んで使っているなどというよりも何か高級なもののような気がして、これはアラスカの木だなどと喜んでいる。(ピアノ知識アラカルト p.100より引用)


フィヒテとは「ドイツ唐檜」ともいわれ、ヴァイオリンの表板にも使用される材だそうだ。氏の物言いは手厳しいが、国産エゾ松を響板の材として高く評価していたことが伺える。とはいえ、1974年には既に良質な国産エゾ松材は手に入りにくくなっており、使いたくても使えなかったという事情もあるだろう。なお、氏は「技術の自信に裏打ちされた斬新で直感的な発言が国内の大手メーカーからは疎まれる存在でもあった。(p.91)」とのことで、著書ではA社、B社と社名は明らかにしないまでも国内メーカーに対して厳しい異見を述べていたりもする(p.112)。

ちなみに氏が酷評していた「アラスカのスプルース」は現在のピアノの響板材料としてスタンダードなものであるが、スタインウエイの響板にも使われているらしい。もっとも、大量の材から厳選した素材だけを使っているために、非常に歩留まりは悪そうである(参考:島村楽器公式ブログ)。要はスプルースでも良質な部分だけを適切に使えば優秀な響板は造れるというということなのだろう。

杵淵250型 響板木目(材料不明)

道産アカエゾマツについては、こちらのサイト(えんがる歴史物語)よると「戦後復興のためにほとんどのアカエゾマツの木を伐採」してしまったらしい。現地企業の北見木材株式会社は昭和25年に日本楽器(現在のヤマハ)に国産アカエゾマツの原木を送るために創立された会社だそうで、ヤマハのグループ会社という扱いになっている。現在の製品は大半が輸入木材の加工品らしいが、ピアノ響板の国内シェアは70%、世界シェア16%というのだから大した優良企業である。北海道の冷涼で乾燥した気候が響板の製造には適しているのだそうだ(参考資料:開発こうほう 2006年7月 北海道開発協会)。

資源としては枯渇してしまった道産アカエゾマツであるが、楽器用材としての優れた性質を見込まれて植林はされており、ヤマハが2013年に76年生のアカエゾマツ5本(伐採は2008年)を使い、ピアノ14台分の響板を試作したところによると、性能試験には合格のレベルであり、人工林材が響板材として有用であることが示唆されたとのことである。しかし、人工林は2014年の時点で30年生以下の若い樹木が大半で、今後資源として活用するには無節材に育てるための「枝打ち」という手入れと30年の歳月が必要になるらしい。(参考資料1:ピアノ響板材料としての可能性 林産試験場)(参考資料2:アカエゾマツ人工林材でピアノ響板を作る 道総研)

以上の経緯を経て、2016年には北見木材(株)と北海道オホーツク総合振興局、遠軽町の三者により「『ピアノの森』設置に関する協定書」が締結され、将来ピアノの響板の材料として北海道産のアカエゾマツ材を安定的に供給できることを目指した森づくりの活動を行うことになったそうだ。数十年後には国産エゾマツを使ったピアノが作られる時代が来るのだろう。(参考資料:遠軽町広報ページ

丸瀬布 郷土資料館の展示物(2010年撮影)

余談であるが、自分は2010年に当地の丸瀬布を訪れ、かつての林業で活躍したSLや、ピアノ部品の展示がされている資料館を見学したことがある。旧blogに関連記事あり。


少し横にそれてしまったが、杵淵250型の話に戻そう。当方所有個体の鍵盤蓋のロゴは文字の角にトゲトゲのあるタイプで、最もよくみかけるものだ。ロゴは数種類のバリエーションがある模様。

杵淵250型 鍵盤蓋ロゴ(当方所有)
杵淵250型 鍵盤蓋ロゴ (したんだピアノblogより引用)

上の個体は角に丸みがあるバリエーション。

イースタイン 杵淵250型 鍵盤蓋ロゴ(SASAKI PIANOより引用)

コチラは滅多にみかけないタイプだが、縦長の書体になっていて印象が異なる。杵淵250型は受注生産で個体数は少ないし、あまり長期間生産されたとは思えないが、なぜかバリエーションが豊富である。

杵淵250型 鍵盤(当方所有)

当方所有の杵淵250型の鍵盤には水牛の角と黒檀が使われている。水牛の角は皮膚が変化したもので物質としては蛋白質らしい。そのため虫食いの被害が発生することがあり、あまり長持ちしない素材なのかと思いきや、ウチの個体は製造後50年以上経過していても割れや黄ばみが発生していないし、手触りも悪くない。きちんと使ってあげれば虫が食うこともないだろう。

杵淵250型 水牛の角鍵盤

欠点は表面が均質ではなく微細な窪みが黒く汚れて見えることか。水牛角はベトナムでは工芸品の材料として割とメジャーな存在のようで、食器や小物に加工されている。加熱して曲げたり伸ばしたりすることもでき、加工性は悪くないようだ(参考リンク)。ハンコ業界では象牙の代用品として使われているし、象牙鍵盤の代用品としてもっと使われていても良い素材と思うが、ネットで調べても他の事例を見つけられなかった。

ところで、「完成第一号のピアノは当の杵淵も驚くほどの素晴らしい音色を出した(p.96)」とされる杵淵250型であったが、先に書いたように仕上がりにムラがあることが判明する。以下に響愁のピアノより引用する。


第一号のように比類ないまでに素晴らしい音を出すものがあるかと思えば、嶋本や鶴来らベテラン調律師がどんなに手を尽くしても、美しい響きを得られないものも出てくるようになった。材料は厳選するし、もちろん工程に手抜きなどありえない。どうやら設計上の問題点があったようだ。それでも受注生産だから多少響きが悪くても出荷しない訳にはいかず、杵淵モデルに対する愛用者の評価は真っ二つに分かれた。もっとも独り歩きするのは悪い噂だけ。「イースタインは杵淵に踊らされて、結局あの程度のものしかできなかった」といった業界の風評も瀬島の耳に入ってきていた。杵淵は決して口には出さなかったが、だんだんと不本意さが募ってきたのだろう。鉄骨のサインも止めてしまう。(響愁のピアノ p.97より引用)


当方所有の杵淵250型は旧blog記事で書いたように、H8年に販売店で試弾した上で購入したものだ。試弾といっても当時の自分はほとんどデジタルピアノしか弾いていなかったので評価能力には問題があったと思う。それでも当初から鳴りのバランスの悪さは感じていた。低音は鳴り過ぎるくらい鳴るし、高音も突き抜けるようによく響く。しかし曲を演奏すると、主旋律を奏でる音域の音量が足りず、聴きたい音が十分に聞こえてこない。試弾では同一価格帯の他のピアノにも触れてみたが、似たような傾向があったので安価な中古ピアノはそういうものなのか、もしくは自分の演奏のクセが悪いのだろうと解釈していた。

書籍「響愁のピアノ」はH9年の発行でピアノ購入時にはまだなく、「設計上の問題点」についての記述は後に知ることとなったが、自分が感じている特定音域の伸びの悪さがこれに該当するのかどうかは判らないし、長年他所のピアノに触れる機会もなかったものだから、実際に問題点があるのかどうかも判然としなかった。調律時には要望を伝え、ある程度バランスは改善したものの、鳴りの悪い音域に合わせて他の音域の鳴りを絞る方向でデチューンするしかなく、不満点が解消したとは言えなかった。書籍の「ベテラン調律師がどんなに手を尽くしても、美しい響きを得られないものも出てくるようになった。」が自分のピアノに該当するとは思いたくなかったが、仮にそうであっても「日本一」の杵淵氏が問題の本質に迫れなかったことを考えると素人の自分にはどうしようもないと半ば諦めの境地でもあった。

しかし、H30年にピアノのレッスンに通うようになり、複数のYAMAHAのグランドC3に触れる機会が得られたことで、モヤモヤとした疑念は確証に変わることとなった。自分の杵淵250型は教室のC3と比べると明らかに次高音域の伸びが劣っていたのである。C3の次高音はアクセントを付けて叩くとそれに応えるように金属音成分が上乗せされ、突き抜けるような音色に変化するのに対し、杵淵250型では音量は多少増すものの音色はあまり変化せず、内に篭ったような成分が混ざっている感じがする。

具体的にどの音域なのか鳴らしてみると、概ね下画像の右から2番目のピン板の区画の音域がそのような傾向であった。440HzのAの音の前後D#からGまでの17音が該当する。H31年3月にこのピアノをオーバーホールすることとし、この機会にピアノの仕組みについて勉強しつつ問題点について考察してみることにした。

イースタイン 杵淵250型 デュープレックス・スケール

杵淵250型はスタインウェイのピアノを参考に設計されたこともあって、イースタインとしては最初にして唯一のデュープレックス・スケールを取り入れたグランドピアノとなった。原理としては、有効弦の前後を整数比で区切って倍音共振を起こし、その振動をフレームに伝えて鉄骨を鳴らし、パワーある音色を生み出すというものだ。上画像では駒側のフレーム上に載っている金属板(アリコートプレート)、ピン板側のフレーム上に設けられた階段状に区切られた土手(ベアリング)、鉄骨裏側に埋め込まれたカポダストロバーがそれにあたる。元々はスタインウェイの発明だそうだが、特許権は既に切れており現代のピアノのほとんどに採用されている。

イースタイン 杵淵250型 アリコートプレートと駒

オーバーホール時に弦をすべて取り払ったところで、これらの状態をつぶさに観察すると、疑わしい箇所が見えてきた。アリコートプレートがフレームに密着しておらずガタついていたのである。張弦するとプレートは弦圧で押さえ込まれてガタツキが解消するので一見問題ないように思われるが、プレートの歪みがバネとなって弦を下から押し上げ、駒にかかる弦圧を低下させ、音の伸びを悪くしている要因になっているのではないかと考えた。そういう目で駒に刻まれている弦の圧痕を観察すると僅かに浅い感じもする。某調律師さんによるとこのあたり、YAMAHAピアノではアリコートプレートの裏にダボが付いていて、鉄骨の形状がアリコートプレートに吸い付くようなレベルでピタっと張り付いているそうだ。ここにガタツキが発生しているのはやはり異常とみるべきだろう。

よくよく観察するとアリコートプレートの載っている土台のフレーム側が平面でなく支柱に対して微妙に坂になっていた。これがガタツキの原因だろう。杵淵250型はイースタイン初のアリコート式グランドであるのでノウハウに乏しく、フレーム製造時に必要な配慮を欠いていた可能性はあると思う。張弦してしまうと問題点が見えなくなるだけに、完成後のピアノをベテラン調律師が弄ってもどうにも出来なかったと考えれば矛盾もない。

以上の仮説を立てた上で、オーバーホールをお願いした調律師さんと協議した。実証するには2つの手法が考えられる。根本的解決としてはフレームを削って当該箇所を平面化し、アリコートプレートを密着させることだ。しかし、これはフレームに何らかのダメージを与える可能性があるし、フレームの再塗装も必要になる。現状でフレームの塗膜はさほど劣化していないこともあり、今回はピアノを自宅に据え置いたままのオーバーホールを予定していた。フレームに手を加える場合、工房への運搬が必要で費用負担は跳ね上がるし、望ましい結果が得られるという確証もない。よってフレームはそのままに、アリコートプレートを削ってフレームの歪みに合わせるという手法を採ることとなった。

問題の音域のアリコートプレートは低音側10音と高音側7音で2枚に分割されている。とりあえず最も音色に不満を持っていた低音側10音のプレートのみ削ってみることになった。アリコート削りは金属加工の得意な助っ人調律師さんが担当。プレートの裏側をディスクグラインダーで少しずつ削り、現物合わせでフレームの曲面に合わせる作業となった。プレートは銅製にクロームメッキがされているようで、削った部分は地金が露出した。防錆の観点からは好ましくないが、表に露出しないので水をかけたりしなければ問題ないだろう。ピタッと貼り付くレベルまで微調整の上、張弦がなされた。

張弦直後は良く分からなかったが弦が馴染んでくると、明らかに以前より響きが違っていることが実感できるようになってきた。鍵盤を強く叩くと金属音成分がプラスされてキラキラと抜けるような音色が出せるようになったのである。弦は新品に入れ替えたわけだから、音色が変わったのは弦によるものという解釈もできそうだが、だとしたらプレートを削っていない高音側7音の音色も変化するはずである。しかしながらこちらは以前と同様に篭った成分を含んだ抜けの悪い音色のままだった。ここで高音側のアリコートも削って検証すれば音色の変化の理由は明らかになる。やれるところまでやってみようということで、一度弦を緩めて高音側のプレートを外し、低音側と同様に削ることになった。

結果は予想通りで、明らかにプレートを削る前後で音色に違いが認められた。フォルテで叩いた時の次高音部全体の音色に金属音成分が加わってパワフルになり、上下の音域とも繋がるようになった。当初は弦圧の問題を疑っていたが、音色の変化を聞いた感じだと、おそらくアリコートの機能不全が原因だったのだろう。原理的にアリコートプレートは、倍音共鳴している弦の振動をフレームに伝える「駒」的な役割を持っていることになるが、これがわずかでも浮いていることでフレームに十分な振動が伝わらず、本来の性能を発揮できていなかったのだと思われる。杵淵氏が生前解明できなかった音色の問題点がここにあるのかどうかは不明であるが、少なくともウチの杵淵250型については、アリコートに問題を抱えていたと考えて間違いないだろう。


さて、今回のオーバーホールであるが、私も少し作業に参加している。ブリュートナーを真似たピン板の真鍮版磨きである。「ピンの振動をフレームに伝えないようにするため」のものだそうで、350型も同様の構造になっている。

イースタイン 杵淵250型 ピン板

この真鍮板はクリア塗装が施されており、概ね金属光沢を維持しているものの、所々に錆が浮いてしまっていた。オーバーホールでチューニングピンを外した状態になったので、この機会に錆落としとクリア塗装をやり直すことにした。

できれば真鍮板を取り出して電動サンダーでガンガン削りたいところであったが、残念ながらフレームを外さないと分離できない構造になっていた。仕方ないのでフレームの塗膜を傷つけないようにマスキングテープで保護してミニルーターのワイヤーブラシでチマチマ削ってペーパーで仕上げることにした。キワのところが大変削りにくく、手間がかかって根気の要る作業だった。鏡面仕上げ、といきたいところだったが、下にピン板があるために水研ぎすることはできず、ヘアライン仕上げで妥協することにした。

真鍮板のクリア塗装

塗装前には十分なマスキングを施している。ピン穴から塗料が染み込まないように、適当なネジやピンで蓋をした。塗料の食いつきを良くするため、初めにメタルプライマーをスプレー缶で吹き、エアブラシでラッカークリアーを2回、半光沢クリアーを1回の合計4回の吹き付けを行った。ドアに目張りをしたが、数日間家が溶剤臭くなって参った。

剥がれたシリアル

マスキングでついうっかりシリアルナンバーの上にテープを貼ってしまったのだが、テープと一緒に剥がれてしまった。この書体のシリアルは他のイースタインピアノでは見られないものなので、前回のオーバーホールで塗りつぶされたものをインスタントレタリングで転写したものと思われる。

修復後

一応モデラーの端くれなので、エナメル塗料と面相筆でレタッチしてみた。上からクリア1回、半光沢クリア1回の吹きつけを行ったので軽く擦ったくらいでは剥がれないだろう。

塗膜保護シート

クリア塗装は錆予防の目的だが、張弦時に弦の断端が当たると傷が付いて後々錆が浮いてくると予想されるため、弦の張り込みが終わるまで厚紙のシートで覆って保護することにした。弦を張った後に引きちぎって除去したのだが、結構固くて手間だった。予めミシン目を付けておけば良かったと後悔。

張弦後

表層を半光沢塗装にしたことで粗が目立たない仕上がりになった。ピンや弦はは新品に交換したし、アグラフやベアリングも磨いたのでしばらくは綺麗な状態を保てると思う。

バス弦

今回張り替えた特注のバス弦。巻き線断端の処理がお見事である。銅の金属光沢が綺麗だが徐々にくすんで来るのだろう。


足台

ところでこのピアノ、和室に置いているため前2本の足が畳にかかっている。重量拡散用の板を噛ませている関係でペダルの位置が高くなってしまっていた。自分は慣れてしまったが、息子が踵を床面から浮かせてペダル操作するクセがついてしまったので矯正の目的もあって足台を製作した。材料として、18mm厚・300x910mmのラワン合板1枚と3mm厚のアガチス板を数枚購入。その他家にあったカーペット材や端材を適当に使った。

足台 裏側

ラワン合板は端を27mmの太さで2本切り出して両端に積み上げるように木工ボンドで貼り付けて足にした。内側2本の足は18mm厚のシナランバーコアの端材を利用。ステイン塗装をしくじってムラがでているが普段は見えないので気にしない。

表に見える部分はアガチス板を貼ってツキ板としている。数日かけて1枚ずつ張り合わせ、トリマーで45度の面取りをした。カーペット材はおよそ3mm厚で、アガチス板とほぼツライチになっている。塗装はワシンペイントの水性ステイン(マホガニーブラウン)で着色し、水性ウレタンニスを5~6回塗り重ねて光沢仕上げとした。ピアノ塗装には及ばないが、筆塗りなのでこのあたりで妥協。

ベースの板はラワン合板なので積層されているが、ツキ板により表から木口は見えないようになっている。カーペット材はタッカーで密に留め、滑り止め足は100均のコルクシートを貼り付けている。

EASTEIN 杵淵250型 1965製

杵淵250型の譜面台は150型と同じ大型のもので、立てて弾くと結構音が遮られる感じがする。海外には洒落た透かし彫りの譜面台のピアノがあるが、単なる装飾ではなくて奏者が音を聞き取りやすくするという意味もあるようだ。

杵淵250型開発の後日談として、書籍「響愁のピアノ」には以下のように書かれている。


しかし杵淵もイースタインも250型で懲りるどころか、引き続き新たなグランド開発に意欲を燃やす。250型での失敗を教訓に、新たに設計した200型、200型を縮小して製作したO型という具合に、イースタインの杵淵モデルは計三機種になった。200型は250型に比べ、まとまりのある音色と均質な仕上がりが特色だった。O型は専ら東京にあった福山ピアノからの依頼で製造し、製品にはFUKUYAMA&SONSという同社のブランドを付けて出荷した。(響愁のピアノp.97より引用)


書籍では杵淵250型は失敗作扱いになっており、オーナーとしては複雑な気持ちである。O型とは、フクヤマピアノのグランド後期型(ピアピットにオーバーホール記録あり)がそれに該当するかも知れないが、詳細は不明。200型についてはネットでは一切の情報が見つけられなかった。さらに、書籍にはこう綴られている。


しかし、杵淵は最初に設計した250型の真の完成を諦めきれなかった。三機種が揃った後も、鉄骨をくり抜いてピン板をはめ込む方式を止め、鉄骨にそのまま穴を開けてチューニングピンを打ち込むようにするなど、少しずつ改良を重ねていく。実は当初の250型のピン板は薄く、チューニングピンも短い特注品だった。このため製品によっては弦が弛みやすいといった欠点があり、これを真っ先に解消させた。(響愁のピアノp.97-98より引用)


改良が行われた時期は不明であるが、ネットでは改良後の個体の情報は見出せなかった。もっとも、杵淵250型は5台程度しか存在を確認できなかったのだが。杵淵250型の完成からおよそ14年後の1979年11月2日に杵淵直知氏は急逝され、「設計上の問題点」については解明されないまま永遠の謎になってしまった。アリコートプレートの問題点がそれに該当するかどうかは複数の個体で検証する必要があるが、なにしろタマ数が少ないため難しいだろう。

なお、今回のオーバーホールでは他にもハンマーシャンク交換と鍵盤のオモリ調整も行っている。ヤマハピアノに比べると若干のアクションのクセはあるものの、次高音の音質がクリアになったこともあり、以前より弾き易い楽器に生まれ変わった。それなりの費用(安い中古グランドが買える程度)はかかったが、数十年の延命はできたと思われ、自分が生きている内はこの楽器を使い続けるつもりだ。今回の記事が、1台でも多くの古き良き時代のピアノを次世代に橋渡しするきっかけになれば幸いである。

イースタイン グランドピアノ 150型

前回に引き続き、イースタイン(東京ピアノ工業)のグランドピアノのまとめ、第3回は150型。奥行き159センチ(ぴあの屋ドットコムによるデータ)のイースタイン最小のグランドピアノである。

EASTEIN 150型 1966製(ピアノ工房カナザワより引用)

おことわり

現物が希少であり、自分で写真を用意できないためネットで集めた画像を引用・転載しています。資料性を鑑みて、オリジナルを改変せず、できるだけ引用元を明らかにしています。現行の著作権法上認められる研究目的の引用と解釈していますが、権利者からの申し立てがあれば削除等対応します。


参考文献「響愁のピアノ」

イースタイン150型については書籍「響愁のピアノ」に「250型に続いて二、三年のうちに設計から製造まで自社で行った350型、150型を相次いで開発した」(p.52)と記述されており、完成は350型より僅かに遅れて1957年頃と推測できる。また、「イースタインのグランドは昭和三十三年(1958)ごろから順調に業績を伸ばし、月産十二台ほどのベースに乗る。特に150型は音色のよさはもちろん、畳二枚分に納まるコンパクトさがうけて、音大生や一般家庭を中心に売れまくる。」(p.53)と書かれており、イースタインのグランドでは最も売れたモデルと思われる。ネットで探してみると、中古ピアノ販売サイトやオーバーホール記録などがヒットした。

EASTEIN 150型 1963製(picgraより引用)

イースタイン150型は「米国のケーブル」がモデルになっている(p.52)とのこと。聞いたことのないブランドだが、WikipediaによるとCable社は1880年にシカゴで創業したメーカーらしい。

Kingsbury Baby Grand Piano(海外のピアノ販売業者より引用)

150型のルーツを求めネットを彷徨うこと数時間、ようやく見つけたのが「Kingsbury Baby Grand Piano」。このピアノがおそらく原型となっていると思われる。Cable社は複数のブランドを展開していたらしく、Kingsburyはその一つ。奥行きは5foot 1inch=155cmで、イースタイン150型と同程度である。

Kingsbury Baby Grand Piano
EASTEIN 150型(工房日記~伊藤ピアノ工房~より引用)

微妙な違いはあるものの、全体的な造りはかなり似ている。下画像の個体は1929年製とのことで時代的にも矛盾はないだろう。設計が古いためか、Kingsburyの方はカポダストロバーが無いように見える。

Kingsbury Baby Grand Piano
EASTEIN 150型 1963製(picgraより引用)

ピン板周りの構造もほぼ同様。何故Cable社のピアノをモデルにしたのかは分からないが、たまたま原型として実測できた小型グランドがこれだったという程度の理由なのかも。


EASTEIN 150型(工房日記~伊藤ピアノ工房~より引用)

150型の外装の特徴としては、側板の左右上部のせり出しが無くストンとしていること、譜面台が大型で長方形であることだが、側板のせり出しがあるものや譜面台の形状が異なるバリエーションもあるようだ。鍵盤蓋が角ばっているのは旧250型以外で共通している。

EASTEIN 150型 1968製(yahoo!オークションより引用)

特徴的な響板裏の半円形の支柱。書籍には「アーチ型の支柱も隠れたセールスポイントだった」(p.53)と書かれている。

EASTEIN 150型(どらの手も借りたいオルガン造りから引用)

150型の仕様は、非アリコート式で倍音共鳴の仕組み(デュープレックス・スケール)なし、次高音域以上にカポダストロバー装備といった具合。350型と比較すると弦は1本張りでなく隣の弦とペアになっていて、カポダストロバーの音域が異なっている。次高音域の鳴り方は350型とは異なると思うが、やはり木質的な澄んだ音が出そう。

こちらの個体の鍵盤蓋のロゴは見慣れないフォントになっている。製造時からこのようなフォントだったのかは分からないが、同じロゴの個体を他にもどこかで見たような気がする…。


余談であるが、ぴあの屋ドットコムで公開されているアップライトU型の比較動画の中に、EASTEINロゴのTの文字だけがなぜか真鍮の象嵌でなくペイントで処理されているものがある(動画2分45秒参照)。

この個体は1976年製で、東京ピアノ工業倒産(1974年)後の「東京ピアノ親睦会」時代のもので、書籍では「創業以来のイースタインの歴史の中でも最も高品質のピアノを生産していたといわれるのはこの時期だ。」(p.192)とされているが、たまたまTの文字だけ在庫切れだったのだろうか? よっぽど急いで納品する必要があったのか。それとも修理でTの文字を埋めて塗りなおしたのか。


EASTEIN 150型 1967製 フレーム(piakoboのブログより引用)

ネットで調べている内に興味深い事実が浮かび上がってきた。この150型のフレームであるが、どうもフクヤマピアノのグランド(初期型)と同じっぽい。

FUKUYAMA&SONS GP155 フレーム (ピアピット より引用)
FUKUYAMA&SONS GP155 支柱 (同上)

特徴的なアーチ状の支柱も同様であるから、同じ設計のピアノと考えて良さそうだ。フクヤマピアノについては、「自社工場はなくあちこちのピアノ工場にてコンセプトが強い個性的なピアノを作っていたのだ。」(出展:ピアピット)とのことで、イースタインが製造した150型にフクヤマブランドをつけて販売していたと考えるのが自然か。

EASTEIN 150型 1962製 フレームロゴ(まごいち音楽教室より引用)

150型のフレームにはイースタインのエンブレムがエンボスされている個体もあるが、省かれているものが多いようだ。ネットで確認できた画像では、1962年製のものにはエンブレムがあり、63年以降のものには無いことから、元々あったエンブレムをわざわざ後から外す必要が生じたと考えられる。1962年頃にフクヤマピアノにOEM供給するためにフレームの鋳型からエンブレムを外したのではないだろうか。


EASTEIN U型 1962製 エンブレム(ピアピットより引用)

余談だがイースタインのエンブレムは複数のバージョンがあり、比較的古い製品に使われているのがこのタイプ。ブランド名が入り、音叉が下を向いている。

EASTEIN U型 1972製(ピアノ調律おじさんのるるる~な毎日より引用)

同じU型でも72年製のエンブレムは音叉が上向きのものに変更されている。周囲が不自然に盛り上がっていて、むりやり改修した感がある。B型にも2種類のエンブレムの個体があり、鋳型の改修があったことが伺える。

EASTEIN 250型(杵淵モデル)1965製 エンブレム

杵淵モデルのグランド250型のエンブレムはブランド名だけでなく社名まで入っているタイプで、多分250型専用のデザインだろうと思う。

なお、エンブレムに必ず入っている葉っぱのデザインであるが、「栃の木」の葉という説がある。真偽は不明だが確かに形状は似ているし、イースタインが栃木県宇都宮にあったことを考えると説得力はある。


話が横にそれてしまったが、150型の中を覗いてみる。

EASTEIN 150型 1967製 ピン板(piakoboのブログより引用)

ピン板は350型のようなくり貫きはなくオーソドックスな造り。こちらのサイト(ピアピット)によると、同一設計と思われるフクヤマGP155は、ピン板の端ギリギリに開けられている穴があり、割れやすいという問題があるようだ。イースタイン150型にも同様の問題があるのかどうかは不明。

EASTEIN 150型 1968製(ヤフオクより引用)

この個体は煤けてフェルトも朽ちているが、弦もアクションもオリジナルの状態と思われる。高音側の構成はヤマハのGシリーズに似ている。

YAMAHA G2B 1990製(ヤフオクより引用)

Gシリーズは、上画像のG2Bのように非アリコート式が基本だったが、末尾に「E」が付いたモデルはなぜかCシリーズ同様のデュープレックス・スケールを取り入れた構成になっている。

YAMAHA G2E 1990製 (ヤフオクより引用)

Gシリーズはやわらかい音、Cシリーズはきらびやかな音と差別化されていたようだが、後者が好まれる時代になりGシリーズは1990年代に廃番。近年のピアノのほとんどはアリコート式のCシリーズのような構成になっている。ヨーロッパではベヒシュタインが近年まで非アリコート式の伝統を守っていたようだが、市場の要求には逆らえなかったのか、2003年からアリコート式を採用している。


石山社長でおなじみのぴあの屋ドットコムでは過去に2回ほど取り扱ったことがあるらしい。動画がないのが残念であるが、掲載ページはコチラ。この個体は側板の上部のせり出しのあるタイプである。

150型 1958製(ぴあの屋ドットコムより引用)

掲載元を見ると、「小さいわりにあまりにも音がいいので、大絶賛でした。担当のベテラン調律師もこれはホントにすごい! と称賛の連絡がありました。」と評価されている。当時のものは響板の素材が良く、経年で馴染んで鳴りも良くなっているのではないかと思う。

ヴァイオリン等弦楽器は弾き込まれるほど良い音になっていくと言われていて、ストラディヴァリウスに代表される300年前のイタリア・クレモナの楽器が現代でも一線で活躍していることを考えると、弦楽器の表板と同様の材で造られたピアノの響板も適切なメンテナンスにより数百年かけて成長するポテンシャルを持っているのではないだろうか。

とかくピアノは消耗品のように扱われることが多いように思う。確かにアクションには数十年単位で交換が必要な部品も多く、オーバーホールしようと思えば中古~新品ピアノ1台が買える程度の費用がかかるため、直すより買い換えたほうがオトクと考えてしまうのは無理もないことだろう。しかし、買い替えはせっかく弾き手と共に成長してきた響板を手放してしまうことになり、大変勿体無いと思う。イースタインのような国産マイナーメーカーのピアノはその知名度の低さから中古買い取り価格は低く(買い取ってもらえないことも)、それゆえ直す価値が無いものと思われがちであるが、おそらく木材は現代の量産ピアノよりも良質だし、キチンと修復すれば豊かな響きが得られる楽器も多くあるのではないか。

お手持ちの古いピアノの買い替えを検討されている方がおられたら、一度工房持ちのピアノ調律師にオーバーホールの相談をされることをお勧めしたい。ただし、期待通りの響きが得られなくても当方は一切責任を取れませんが。

イースタイン グランドピアノ 350型

前回に引き続き、イースタイン(東京ピアノ工業)のグランドピアノのまとめ、第2回は350型。奥行き192センチ(ぴあの屋ドットコムデータによる)のイースタイン最大のモデルである。

イースタイン350型(日本学芸社のImgrumより引用)

おことわり

現物が希少であり、自分で写真を用意できないためネットで集めた画像を引用・転載しています。資料性を鑑みて、オリジナルを改変せず、できるだけ引用元を明らかにしています。現行の著作権法上認められる研究目的の引用と解釈していますが、権利者からの申し立てがあれば削除等対応します。


参考文献「響愁のピアノ」

イースタイン350型については書籍「響愁のピアノ」に旧250型の完成(1954年7月)の後2~3年で開発された(p.52)と記述されており、完成は1956~57年頃と推測できる。1990年の廃業の直前まで製造されていたようなので(p.234)、30年あまりの期間でそれなりの数は生産されたと思われる。ネットで探してみると、国内でも数件の情報がヒットした。

イースタイン350型(Piano Malaysia より引用)

350型はフレーム外周の多角形を組み合わせたくり貫きが特徴的で、書籍「響愁のピアノ」には「ブルツナー」がモデルと書かれている(p.52)。


Bluthner Model.6 1954 (LIVING PIANOS より引用)

おそらく1950年代のブリュートナーModel.6が原型だろう。外周の肉抜き穴の形状がやや異なるものの、鉄骨の構造をはじめ、アグラフ、カポダストロバーの構成も一致する。ダンパーの数も同じで、弦がすべて1本張りであることや、ピン板のフレームをくり貫いて真鍮版を嵌めこんでいる点も共通。ただし、ブリュートナーには高音域側に打弦されない4本目のアリコート弦(共鳴効果を狙ったもの)が張られているが、イースタイン350型にはそれがない。

アリコートシステム (Bluthner 公式より引用)

アリコート張弦についてWikipediaを参照してみると、ユリウス・ブリュートナーによって1873年に考案された仕組みらしい。1950年代になれば特許権は切れてるのではないかと思うが、ブリュートナーのフレームには最近のモデルでも「ALIQUOT- PATENT.」とペイントされていて、他社による模倣を牽制しているように思える。

なお、現在のブリュートナー(上画像)はマイナーチェンジによりカポダストロバーの構成や高音部のベアリングの配列が異なり、独立していたアリコート弦の駒も統合されている。

余談だがイースタインアップライトピアノにもブリュートナーを模倣した「B型」というモデルがあり、鉄骨の形状はオリジナルとほぼ同一らしい。現代では訴訟になりかねない事例と思われるが、当時は情報の伝達が遅く、おおらかな時代であった。


BELTON NO.165(京都ピアノアートより引用)

BELTON(富士楽器)もブリュートナーをモデルにしたと思われるグランドピアノを製造している。このピアノも総1本張りだが、やはりアリコート弦は省かれている。350型とはカポダストロバーの構成が異なっているが、別の時代のブリュートナーを模したものかも知れない。

BELTON (ピアノ調律師のつぶやきより引用)

フレーム外周くり貫きの形状もブリュートナーとほぼ同一で、ブランドロゴが入っている部分がちゃっかりBELTONロゴに差し替えられている。

BELTON (ピアノ調律師:杉本由紀おやじのつぶやきより引用)

フレームには「FINEST ART GRAND PIANO」「MANUFACTURED SINCE 1937」と鋳造されているが、この部分に描かれた図形もブリュートナーそっくり。なお、1937年(昭和12年)は富士楽器の創業年であり、このフレームの製造年を表したものではなさそう。

軽井沢新聞 バックナンバー2017年5月より スクリーンショットにて引用

BELTONは1968年(昭和43年)に廃業したらしく(出展:東洋ピアノブログ)、最も新しい個体でも製造後50年は経過しており、現存数は少ないだろう。特にグランドピアノの希少性は地方紙でニュースになるほどのようだ。


話が少し横にそれてしまったが、本題のイースタイン350型の細部を見てゆく。

350型(Piano Malaysia より引用)

ブリュートナー同様の総1本張りの弦は張るのに手間がかかりそうであるが、特に響きが良くなるというわけではなく、弦が切れたときの影響が小さいとか、調律時に隣の弦に影響しないので音を合わせやすいとか、その程度のメリットらしい。

ピアノハウスジャパン Blogより引用(2012年10月)

ピン板は原型のブリュートナー同様にフレームがくり貫かれて真鍮板が嵌め込まれている。この構造は後の250型(杵淵モデル)でも踏襲された。書籍によると「ワイヤーやピンの振動がフレームに直接伝わらないようになっている」(P38)とのことで、雑音の発生を抑える意図があるものと考えられるが、効果のほどは不明。

350型(Piano Malaysia より引用)

次高音域(主に右手でメロディを奏でる音域)まではアグラフが使われていて、高音部のみがベアリング+カポダストロバーの構成となっている。非アリコート式でフレームのベアリング(土手)は1本に連続しており、スタインウエイ的な意図的に倍音共鳴させる仕組みは備えていない。よって次高音域はパワー不足を感じるかも知れないが、木質的で澄んだ音で鳴りそうである。

なお、こちらの個体はオーバーホール時にピン板の真鍮版をフレームと一緒に塗装してしまったらしく、オリジナルとは色味が異なっている。

350型(Piano Malaysia より引用)

ダンパーは蒲鉾型で、響板のロゴはウチの250型(杵淵モデル1965.12製)と同様にシンプルなタイプ。フレームにエンボスされたエンブレムは音叉が下向きの旧タイプの固体しか確認できなかった。エンブレムの位置は原型となったブリュートナーと同一。

350型 (セイコウトウテイさんのtwitterより引用)

こちらの個体は1965年4月製で、山型のダンパーが使われている。YAMAHAに似た洒落たデザインの響板のロゴは1958年には既に使われており、1965年の内に新しいデザインに切り替わったものと推定される。

350型 セイコウトウテイさんのinstagramより引用

検索を進める内に、石山社長の動画でおなじみの「ぴあの屋ドットコム」で350型の動画を発見した。掲載元はコチラ

この個体のカラーリングは深いワインレッド(マホガニー)でおそらくウチの250型(杵淵モデル)と同じ。非常に音にパワーがあると評されている。次の動画では弦の一本張りについて紹介されている。

一連の動画では「T型」とされているが、シリアルのT64201の最初の一文字を型番と誤って解釈したものと思われる。先頭アルファベットは製造月で、JanuaryのJから始まり、以後アルファベット順JKLMNOPQRSTV(UはU型との混同を避けるため飛ばす)で1~12月までを意味する。数字は西暦下2桁、日付2桁、シリアル1桁の順。よって、T64201は1964年11月20日製造1番となる。日に10台以上生産したときにシリアルの桁が増えるのかどうかは不明。

この個体は調律後にも動画撮影されており、「元々響板が良いので響きが凄い」「強烈」等と評されている。

別個体M65241(1965年4月24日1番)入荷時の動画もあり。掲載元はコチラ

この個体の現在のオーナーは先ほどのtwitter画像でリンクした方のようだ。イースタインに大変愛着を持っておられるようで、youtubeで動画も公開されている。(セイコウトウテイさんから資料の転載許可をいただきました)


 

イースタイン グランドピアノ 旧250型

EASTEIN(東京ピアノ工業)は戦後の1949年に栃木県宇都宮で創業した、知る人ぞ知るピアノメーカーだ。会社は1973年に一度倒産しているが、自主生産組織として1990年までブランドは存続された。経緯は書籍「響愁のピアノ」に記されている。

参考文献「響愁のピアノ」

今回の記事はこの書籍を参考資料として活用させて頂き、内容を引用した際は掲載ページを(p.xx)と明示するようにした。

戦後復興期はピアノがよく売れた時代だったらしく浜松周辺にマイナーなブランドが数多く存在していたが、現在そのほとんどは廃業している。宇都宮にあったイースタインは日本最北のメーカーであったとされる(p.17)。

イースタインはピアノ造りのノウハウを持たないゼロからスタートしたメーカーであったため、当初のモデルは舶来ピアノを模倣して造られている。アップライトのU型はLITMULER(p.26)、B型はBLUTHNER(p.38)、グランド150型はCable、350型はBLUTHNER(p.52)といった具合。現物を型取りするような完全コピーではなく、フレームを採寸して同一の形状のものを作る手法だったようだ(p.93)。原型となったピアノのメーカーがバラバラだったたこともあり、設計や音色に個性が強いのも特徴の一つ。アクションは自社開発だったそうで、材料の木材については「広葉樹は日光周辺、響板などで使われるエゾ松は北海道産」と記されている(p.23)。手作りのため月産は80~120台程度(p.150)であり、大手メーカー製品に比べて現存数は少なく、「幻のピアノ」と言われたりもしている。アップライトピアノについては多少の情報は出回っているが、グランドは希少のようでネットを探しても断片的な情報しか出てこないため、この場でまとめてみることにした。

当方所有の250型(杵淵モデル)

当方が確認できたモデルとしては、150型、旧250型、杵淵250型、350型の4種類があり、ナンバーが大きいものほど奥行きが大きくなる傾向がある。この他杵淵直知氏設計の「200型」と、200型を縮小し、FUKUYAMA&SONSに提供した「O型」が存在したとされている(p.97)が、詳細は不明。


おことわり

 現物が希少であり、自分で写真を用意できないためネットで集めた画像を引用・転載しています。資料性を鑑みて、オリジナルを改変せず、できるだけ引用元を明らかにしています。現行の著作権法上認められる研究目的の引用と解釈していますが、権利者からの申し立てがあれば削除等対応します。


まとめ記事の第一回は、イースタイン初のグランドピアノ「NO.250」。

郷愁のピアノ p.25より引用

書籍「響愁のピアノ」には杵淵モデルの250型と同じモデルナンバーが与えられた全く別のグランドピアノについての記述がある(p.51)。国内サイトではその存在を確認できなかったが、なんとマレーシアのサイトに画像が掲載されていた。後の杵淵モデルとの区別のため、ここでは旧250型と呼称する。

イースタイン旧250型(Piano Malaysiaより引用)

今回の現物の画像はほぼPiano Malaysiaから引用させて頂いた。記載データによると、奥行きは185センチでヤマハC3(186cm)と同等。


 

参考文献「郷愁のピアノ」p.51より引用

「ピアノを作る以上、グランドも欲しい」と、イースタインはごく自然な動機でグランドピアノの開発を進めていく。最初のグランド250型が完成したのはB型に遅れること二ヶ月、昭和二十九年(1954)7月のことだ。とはいえ、フレームやケースなど、主だった部品はすべて寄せ集めだった。宇都宮の工場で組み立て、イースタインのブランドを付けて出荷するだけだったから、評判もさほど芳しいものではなく、短期間で製造を中止した。


この後2~3年で350型、150型が相次いで開発されたことから製造期間は長くても3年程度と思われ、現存する個体はかなり少ないのではないだろうか。

フレームの造りは杵淵250型とは全くの別物。「寄せ集め」で作ったとのことだが、フレームが普通に売ってるわけはないし、しっかりとモデルナンバーやロゴがエンボスされて鋳造されているように見える。他所のピアノメーカーに委託して製造したのだろうか。350型や杵淵250型に見られるようなピン板のフレームくり貫きはなく、デュープレックス・スケール(高音側の弦を3つに区切って倍音を共鳴させる仕組み)も採用されておらず、当時としてはオーソドックスな造りに見える。中高音域にはカポダストロバーがあり(そうにみえる)、弦の振動を鉄骨に伝えて音量を稼ぐ意図はあると思われる。

この個体はオーバーホール直後と思われ、チューニングピンや弦の状態が非常に良いが、フレームが塗りなおされているためかシリアルナンバーが見当たらない。ダンパーは蒲鉾型ではなく山型。

意図的な倍音共鳴を作らない非アリコート式であることから、木質的な柔らかい音が出そうだが、音楽のジャンルによっては音量不足を感じるかも知れない。響板のEASTEINロゴは3種類のバリエーションを確認しているが、これが最も古いものと思われる。よほど大事なことなのか「TOKYO」と2回も書かれているが、イースタインは栃木のブランドであり、大手メーカーの書式に倣うのであれば「UTSUNOMIYA JAPAN」と書くべきでは。

フレームの特徴としては、よくある外周の丸い肉抜きの穴が無いことくらいだろうか。ありもので済ませたのであれば、どこかのメーカーで同じフレームのピアノを製造していても良さそうなものだが、ネットを探しても発見に至らず。

譜面台の形状は現在のYAMAHAやKAWAIピアノっぽい形で、後の350型も同様だが、150型、杵淵250型では長方形に変更されている。それにしてもこの個体は60年前の製造とは思えないほど外装も磨かれていて古さを感じさせない。

古い個体なので鍵盤がオリジナルのままかどうかは不明だが、黒鍵の艶はベークライト(フェノール樹脂)のように見える。白鍵の素材は画像からは判断できず。鍵盤蓋のEASTEINロゴは数種類のバリエーションがあるが、こちらは最もオーソドックスなタイプ。


twitterでこの旧250型と思われる画像が見つかったのでリンクしてみる。

twitterより引用

大屋根の面取りや丸みのある鍵盤蓋などの特徴から旧250型と推定されるが、外観は多少のバリエーションがあるので断言はできない。設置場所はどこかの公共施設か店舗と思われるが不明。大屋根の上に「幻の名器」と書かれたボードが載っているが、旧250型だとしたらまさに「幻の」ピアノである。「名器」かどうかは判らないが、「調律されてなくてガビガビだった」とのことで残念な感じがする。


現物を所有している方、同じフレームを使った別メーカーのモデルをご存知の方など、何某かの情報をお持ちの方がおられましたらコメントお願いします。